◆この原稿は雑誌「遞信文化」(現在休刊中)に1990年(平成2年)10月から1993年(平成5年3月)まで掲載した紀行文の原稿をもとに、その後得た知見によって一部補正したものである。実際の街道歩きは1986年(昭和61年)3月から1989年(平成元年)5月までに行った。実地踏査の日からかなりの年月が経過しているが記事の内容は訂正しなかった。当時の景観、地域事情の記録としておきたかったからである。
旧街道の景観はかなりの急速度で変貌している。また周囲の環境、交通事情の変化は著しい。木曽路のバス便は現在はないと思った方がよい。和田峠を越える国鉄バスはなくなった。参考のために記した交通手段の記事は現在ほとんど役に立たないと思う。しかし行程等距離、歩行時間等は変わらないはずである。
(一)昔の旅を偲ぶ街道歩き
(二)近江の中山道(その一)
(三)近江の中山道(その二)
(四)近江の中山道(その三)
(五)関ヶ原を越す(その一)
(六)関ヶ原を越す(その二)
(七)美濃平野の旧中山道(その一)
(八)美濃平野の旧中山道(その二)
(九)絶好のハイキングコース・美濃の山道(その一)
(一〇)絶好のハイキングコース・美濃の山道(その二)
(一一)美濃から木曾へ
(一二)藤村ゆかりの木曾の宿場町
(一三)木曾谷を行く(その一)
(一四)木曾谷を行く(その二)
(一五)日本の分水嶺・鳥居峠を越す
(一六)木曾谷をはなれて塩尻へ
(一七)塩尻から下諏訪へ、そして和田峠
(一八)和田宿から望月の里へ
(十九)佐久のあたり
(二〇)浅間の麓を歩く
(二一)碓氷峠を越す
(二二)西上州の中山道
(二三)高崎近辺を歩く(その一)
(二四)高崎近辺を歩く(その二)
(二五)上州から武州へ
(二六)北武蔵の旧中山道
(二七)埼玉県中央部の旧中山道
(二八)埼玉県南部の旧中山道
(二九)東京の中の中山道(その一)
(三〇)東京の中の中山道(その二)
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