(一七)塩尻から下諏訪へ、そして和田峠    塩尻→塩尻峠→下諏訪→和田峠→和田宿

 塩尻から塩尻峠を経て下諏訪までのコースは、塩尻の町と岡谷市街の一部区間に自動車の多い所があるが、旧道が大体において残っており歩くにはよい区間である。約12km、歩行4時間。下諏訪から先は長い間国道を歩き、険しい山道、しかも道標もない岩場の道を登る和田峠への道で、峠上から東餅屋までは林間のいい道だが、その先がまた旧道が途切れ途切れで、この下諏訪から和田峠を越え和田宿までは、約20.5km、歩行7時間半、歩くコースとしては快適ではないし、一般向きではない。
 さて塩尻駅から前回に来た五又路へ出、元の塩尻宿へ向かう。このへんは国道20号線をしばらく行くことになる。大きなトラックがひきりなしに疾走する脇を人一人がやっと歩ける余地しかない所を行かなければならない。古い家もかなりあるが、車がはねた泥水を浴びて軒板はみな白っぽく汚れて居る。埃っぽいし危険だがしばらく辛抱し注意しながら行く。小さい橋を渡ったところから右側に少し旧道が残って居り、国道を交差して左側に旧道がある。このあたりは堀ノ内になる。ここに重要文化財になって居る堀内家がある。本棟造りの代表的建築で、傍らの土蔵の鬼瓦も立派なものである。突き当たりに神社があり、「阿礼神社」という。式内社で筑摩郡3座の一つ、境内も広く幽邃な趣がある。ここで鈎の手に曲がり国道と合するあたりから元の塩尻宿である。古い建物は何も残っていない。今駐車場になって居る所が元の本陣跡だが表示があるだけ。残念ながら塩尻の宿は1kmほど車の往来の多い国道を急ぎ足で通過するだけになる。
 宿はづれにやっと左折して行く旧道がありほっとする。左手に森がありわりと大きな寺がある。永福寺といい、堂々たる楼門そして本堂、わきにある藁葺の観音堂がまたいい。まもなく柿沢、そこを抜けて国道を横切り登り坂を行くと再び国道に合する。200mくらい国道を歩いて左へ入って行く。このあたりが東山で「東山一里塚」があり、両側とも残って居る。江戸から五十二番目のもの。
 少し行くとかわいい地蔵が2基ある。標示があって「夜通道」とあり、昔、塩尻の娘が恋人に会いに夜通しかけてこの峠を越えて諏訪まで行ったという故事からこの名がついたとある。こういう話しは歩いて居ると各地にあり、安珍清姫の例をひくまでもなく昔から恋する女性は強かったといえそうだ。
 雨がぽつぽつやって来た。ここから峠上まで細い径を登つて行くうちに本降りになった。峠上は標高1060m、明治13年に明治天皇が休憩されたという行幸記念碑が立つ。手前に茶屋本陣の跡がある。その脇から展望台への道を登る。ここからの見晴らしは絶景だというが、残念ながら雨にけぶる中に諏訪湖が白く浮いて見えるだけであった。私はかって国鉄バスで国道塩尻峠を越えたことがある。この時、バスの運転手は峠上で、わざわざ小休止して乗客を降ろし眺望を楽しませてくれた上に説明までしてくれた。40年も前のことだが国鉄には珍しいサービス精神があるものだと感心したものである。この国道の峠は旧道より500mほど南で標高はやや低いが諏訪湖を眼下に手前の岡谷、下諏訪、上諏訪の市街と上諏訪神社の杜まで見え、その背景には南アルプスの山々まで一望し得た。眺望絶佳の記憶がある。多分この旧道の峠上も雨天でなかったら同様にすばらしい眺望だつたに違いない。
 塩尻峠の名の由来は、太平洋側からの塩と、日本海側からの塩とがどちらも終着であったことによる。壬戎紀行には「塩を付けたる馬引きつらねて来たれり。これは東海道の沼津より甲州の鰍沢まで舟で廻り、それより馬につけて松本の城下に行くと云う」云々とあり、当時の塩を運ぶ風景を記して居る。
 塩尻峠から急坂を下りきったところに大石がある。その先に石船観音がある。これも大岩を祀ったもの。ここに清水が涌いて居る。右手山際に山をくねって登る国道と、その横に高速道路が見えて来る。南の方は岡谷の市街である。これまたなかなかの眺めである。そして今井。昔茶屋本陣があった。今も堂々たる門構えの家があるが、これがその今井家。 今井の集落は続くが自動車練習所の所で国道を斜めに横切る。この先は旧道は残って居るが市街の中の道なので、歩くのが億劫なら近くにバス停がある。下諏訪駅までバスを利用するのもよい。 
 さてこの交差点を越えた所が長池、ついで岡谷への広い道を横切る。この道は伊奈街道、飯田を経て清内路越えで妻籠に出る古い街道でもある。これを横切ると東堀、十四瀬川の所で旧道は消滅して居るので国道に出て橋を二つ渡り斜めに曲がって行く。そして再び国道に合し四つ角に出る。甲州を通る国道20号線はここを右折する。旧中山道は真っすぐに行き、途中で斜めに入って行く。T字路にぶつかる所にあるのが元の本陣「かめや」。前が今駐車場になって居るがその奥に現在亀屋ホテルとして営業して居る。私も一泊したがなかなかいい旅館で温泉もいい。建て変えられたので昔の建物ではないが、朝食の時使用した部屋は上段の間といい、皇女和宮が宿泊した時のまま残されて居るのだという。庭もまたいい。この旅館は分家で、本家岩波家は隣の元のままの門構えの家で中を見せてくれる。宿の古い文書、道具などを展示して居る。つまり元の本陣が二つに分かれて残って居るということだ。
 今どちらかというと、温泉としては上諏訪の方が繁栄し、交通の便でも上諏訪には特急がすべて止まるが、下諏訪には一部しか止まらない。町も活気がなく全体として観光に力を入れて居るとは思えない。せっかくの諏訪大社の春宮、秋宮、慈雲寺、万治の石仏など、いわれのある歴史的な観光施設があるにもかかわらずである。ただ諏訪大社の「御柱祭り」は大変な行事である。寅と申の年に行われ多数の人出となる。国道(142号線)を1500mくらい和田峠の方へ登って行ったところに「木おろし坂」というのがあり、伐り出した大きな太い神柱の木を高い崖の上から谷へ落とす。その木の上に何人かが乗って一気に下りる。途中で振り落とされる者が多く危険だが、最後まで落ちずに木とともに谷に着いた者は名誉を勝ち取る。NHKのビデオで見たが勇壮で迫力がある。非常な危険に挑む若者たち。形は違うが同じような例は外国にもある。カナダのナイヤガラの滝へ行った時に聞いた話だが、あの滝の上から樽に乗って滝を下る冒険をする者が居る。たいてい途中岩にぶつかり樽が壊れ失敗するが、無事に乗り切った男が今までに何人かおり大変な名誉を得て居るという。
 ここから和田峠への道は、この国道をかなりの距離登って行き、途中浪人塚、西餅屋の茶屋跡などを経て、古峠沢橋の手前の細径を薮をこぎながら登る。和田峠上は古峠といい、木曾名所図会に「和田峠にいたる。ここを鳩の峰ともいう。空快明なる時は富士山能く見ゆる。西坂嶮し。東坂やすらかなり。三月の末まで雪ありて寒し。地形甚だ高き所なり。」とある状況は現在でも同じで、西坂つまり下諏訪側は整備もされず、道標もないのでむしろ条件は昔より悪いかもしれない。東坂つまり和田側は峠から東餅屋、美しが原入り口までは旧道の大部分の区間が自然歩道としてよく整備されて居るので歩きよい。峠の標高は1667mもあり眺望もよい。ここに石碑があり、御嶽遙拝所がある。御嶽山も見えると思われる。また賽の河原という広い荒れ地が広がって居る。三月の末まで雪があるとして居るが、私がここを越えたのは5月の連休の日であったが、前の日下諏訪は雨でこの峠上は雪が降った。図会でいう三月は旧暦なので新暦では四月末ということだ。5月の連休の時に雪が降るのは珍しいことではないのかも知れない。この峠を下る道に一部林間のいい区間があるが、樹木の葉は雪で白く、道は数センチも白い雪が積り歩く度にさくさくと音がした。途中美が原への有料道路ビーナスラインで遮断され迂回路を通ってこの有料道路を越える。このへんにはもう雪はなかった。この先が東餅屋で今はビーナスラインの入り口になって居る。ここに数軒の茶屋がある。但しいつも開いているかどうかは分からない。ここまでバスもあるが行楽のシーズンだけ運行する。
 東餅屋から旧国道をしばらく歩く。途中「接待」という所があり、和田村で復元した接待小屋がある。この先右に分かれる細径がある。旧道を復旧したものだが、手入れが悪いのと人があまり通行しないためか道は荒れて居て下るのに相当な注意が必要である。降りた所が男女倉口、ここに案内板がある。ここから新国道、もと国鉄バス停があったが今は運行して居ない。従って車の往来の多い国道を歩くことになる。
 なおここから上、谷合を登ると男女倉沢で、このあたりは太古、石器時代から黒燿石の産地として知られて来た。黒燿石は黒い堅い岩石で、それを割ると鋭い角ができるので、矢じりや石斧、石製の刃物類などに作られ、さかんに使われて来た。日本列島の各地でその製品が発掘、発見されて居る。和田峠に国道バイパスをつくるに当たり、男女倉遺跡が発見され、発掘調査が行われた。その膨大な発掘品の一部が、和田宿の「黒燿石石器資料館」に収蔵され、展示されて居る。黒燿石を中心とした発掘品のほか、旧石器時代の石器から縄文時代の石器、土器に至る多数のものを見ることができる。歴史に興味のある人なら見逃せない所である。
 この先一部旧道が復旧されて居る区間があるが、保守状態がよくないため通行は無理である。唐沢の集落に入る手前、国道と平行して居る前記の旧道に「唐沢の一里塚」の跡がある。このあたりだけは踏み跡程度の道がある。両側に2基の立派な塚が残って居る。但し丸坊主で木はない。唐沢を抜けかなり下った所、現在の荒井にもとの牛宿がある。前に杉ノ屋という食堂があり、昔の牛宿の子孫だという人が経営して居る。ここの主人から黒耀石の原石をもらう。加工されて居ないが黒光りしたかなり重い石である。
 ここから2kmほど下った所が、上和田で旧道が右に分かれる。10分ほど行くと国道と交差し旧道は和田宿に入って行く。古い町並が残っており、表示、説明板も完備していて訪れるものにとって非常に有難い。ここからはJRバスが上田まで運行して居る。但しこのバスの最終は早いので注意を要する。

☆行程 
A,塩尻駅→塩尻宿→塩尻峠→下諏訪宿  12km  4時間    
B,下諏訪→和田峠→東餅屋   13.5km  5時間半
C.東餅屋→男女沢口→和田宿   7km  2時間

☆地図 
国土地理院  2万5千分の1 塩尻、諏訪、鉢伏山、和田、春日本郷、丸子

☆注 
諏訪から和田への旧国鉄バスは廃止された。現在諏訪側からは歩くか、タクシ ーの外には交通の便はない。



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