少しずつ更新中。
団体名 | 解説 |
新日本創設ベルト IWGP(INTERNATIONAL WRESTLING GRAND PRIX ) 新日本プロレスの道場訓 「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ」 一休和尚 ゲーム会社のユークスに、アントニオ猪木が持っていた新日本の株の51.5%にあたる2万7800株を売却し、ユークスの子会社になることを発表。 |
新日本プロレス公式ホームページ
1972年にアントニオ猪木が旗揚げ。 「ストロングスタイル」を掲げ、プロレス最強を唱えるアントニオ猪木の異種格闘技戦時代、梶原一騎原作の漫画の主人公タイガーマスク(佐山悟)、IWGPの時代、藤波辰爾と長州力の時代、闘魂三銃士の時代を経て今に至る。闘魂三銃士のうち、橋本真也は独自の団体ZERO-ONEを設立、武藤敬司は全日本プロレスの社長兼プロレスラーとなり、蝶野正洋だけが残る。 蝶野正洋、天山広吉、棚橋弘至、中邑真輔、永田裕志、藤田和之、獣神サンダー・ライガー、「寡黙な闘志」飯塚 高史、吉江 豊、タイガーマスク、中西学、「魔界の番長」安田忠夫、「蒙古狼星」ブルー・ウルフ、「ジュニアの巨人」エル・サムライ、「十字職人」田中 稔、邪道外道ほか 毎週土曜テレビ朝日ワールドプロレスリングにて中継 |
選手 | 解説 |
1953年12月28日 生まれ 大分県東国東郡出身 184cm 105kg 血液型O型 得意技:
龍魂伝承 藤波ファンサイト |
中学卒業後、自動車整備工場に勤める。ボディビルで体を鍛え、70年、日本プロレスに入門。猪木の付き人となる。71年デビュー。72年、新日プロ旗揚げに参加。74年の 第1回ゴッチ杯に優勝、75年に海外遠征へ出発。欧州、主にドイツで活躍。フロリダでゴッチの指導を受ける。77年にメキシコ入り。リング・フヒナミの名でルードでスタートしたが、1ヵ月後にリンピオに転向。78年、WWWFジュニア王座を獲得して帰国。新日本プロレスは藤波を売り出すためにマンドー・ゲレロとアンヘル・ブランコに、ドラゴン・スープレックスを受けた後に失神させ負傷欠場させる。81年、ヘビー級に転向。85年、初代IWGPタッグ王者。88年第2代IWGPヘビー級王座。91年、NWA世界王者のリック・フレアーにグランド・コブラツイストで勝利。試合後にWCWの役員が「藤波はオーバー・ザ・トップロープの反則を犯していた」とベルトを剥奪。93年、G1初優勝。99年、新日本プロレス社長に就任。 00年、「エピローグ・オブ・ドラゴン」では引退カウントダウンを表明、その後引退を白紙に戻す。01年、IWGPタッグ王座。1999年から2004年まで新日本プロレス社長を務める。 「プロレスは対戦相手との信頼関係があるから、やれるんです」 「我々は殺し合いをしてるんじゃないんです!」 などの名言もある。 |
「黒の首領」 蝶野正洋 1963年9月17日生まれ 東京都三鷹市出身 186cm 108kg 血液型O型
得意技:
趣味は旅行と食べ歩き。好きなテレビ番組はディスカバリーチャンネル。 |
父は大手製薬会社の社員。蝶野はアメリカ生活も経験している。高校時代はサッカー部。84年、新日本プロレス入門。87年のヤングライオン杯に優勝し、海外遠征。ヨーロッパのトーナメントに出場後、アメリカに遠征。88年、WWA世界ヘビー級王座を獲得。ヨーロッパのトーナメント大会に出場。89年からアメリカ・アラバマのCWFに出場。ルー・テーズのジムに1ヶ月間入門し、STFをマスター。89年に帰国。90年、武藤と組みIWGPタッグ王座を獲得。91年、第1回G1クライマックス優勝。ドイツ人のマルティナ・カールスさんと結婚。92年のG1はNWA世界ヘビー級王座決定戦として行われ、2連覇を達成。第75代NWA世界ヘビー級王者。94年、G1の3度目の優勝を機にヒールに転身し、95年に天山、ヒロ斎藤と狼群団を結成。96年にWCWに許可を受けてNWOジャパンを設立。98年、第22代IWGPヘビー級王座を獲得。99年に大仁田厚と電流爆破デスマッチで対決。防具をつけて試合。ドン・フライ、AKIRAらとT2000を結成。00年、全日本プロレスに初参戦し渕勝利。02年、猪木から新日プロの現場責任者に任命される。猪木は期待を込めて「蝶野は力があるから。チョーノー力」と記者団に対し言った。天山と組みIWGPタッグ王座4度目の獲得。レスラー生活20周年を迎え、ブラックニュージャパンを結成。2005、8/14日に行われた『G1クライマックス』で前人未踏の5度目の優勝を果たした。10月30日神戸ワールド記念ホールで天山広吉とともに棚橋弘至 & 中邑真輔 組からIWGPヘビー級のベルトを奪い第48代王者となる。 |
「ジュニアのカリスマ」 金本浩二 1966年10月31日生まれ 兵庫県神戸市出身 180cm 90kg AB型 得意技:
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大阪芸術大を卒業。栗栖ジムでトレーニングを積んだ後、90年、新日本プロレスでデビュー。92に3代目タイガーマスクに抜擢を受ける。93年、メキシコに遠征。キング・リーの名でUWAで活躍。福岡ドーム大会で3代目タイガーマスクに変身。94年の東京ドーム大会でライガーに敗れ、マスクを脱ぎ米国修行へ出。95年に帰国、保永を破りIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。4月にはUWA王者の大谷を破りジュニア2冠王に。6月、IWGPジュニア王座。98年、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア初優勝。99年、ライガーを破ってIWGPジュニア王者。00年6月、田中稔と組んでIWGPジュニアタッグ王座を獲得。01年3月シリーズで右肩を負傷し欠場。10月よりT2000と合流。2006/5/3、ファルコンアローでタイガーマスクを下し、第50代IWGPジュニアヘビー級王者の座に輝く。金本の戴冠は3年ぶり、5度目となる。 |
「新日本プロレスのエース」 永田裕志 1968年4月24日生まれ 千葉県東金市出身 183cm 108kg 血液型AB型 弟はシドニー五輪アマレス69キロ級銀メダルの永田克彦。 得意技:
高所恐怖症 |
16歳でアマレスを始める。日体大時代はアマレスで活躍。全日本学生選手権グレコローマン82キロ級で3連覇。92年全日本選手権グレコローマン82キロ級優勝。92年、新日本プロレスに入門。9月にデビュー。96年、第7回ヤングライオン杯に準優勝後、米国武者修行へ出発、WCWマットに参戦。98年、凱旋帰国。99年、中西とのコンビでIWGPタッグ王座に君臨。00年に、中西らと格闘集団G−EGGSを結成し、IWGPタッグ防衛戦ではUFOの小川、村上組と初対決し勝利した。飯塚とのコンビで第2回G1タッグに優勝。「猪木祭」に同コンビでマーク・コールマン、マーク・ケアーと対戦し健闘。01年、G−EGGSを発展的解散。G1クライマックスで初優勝。12月の猪木祭でK1戦士のミルコ・クロコップと対戦し、開始早々に左のハイキックを浴びて21秒でTKO負け。02年、秋山のGHCヘビー級王座に挑戦も敗退。4月にIWGPヘビー級王座を獲得。以後、歴代最多防衛新記録となる10度の防衛を達成。03年、イノキボンバイエ2003〜馬鹿になれ夢をもて〜でPRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦も1分2秒、レフリーストップ負け。 愛読書は週刊漫画。 |
天山広吉 本名:山本広吉 183cm 120kg 血液型O型 得意技:
カラオケの18番は桜坂。尊敬するレスラーはヒロ齋藤。 猛牛CLUB 新日本プロレスの天山広吉公認オフィシャルファンクラブ |
1971年3月23日生まれ 京都府京都市出身 高校時代はバスケットボール部。ボディビルで身体を鍛え、新日本プロレス学校に入門。卒業後の90年に新日プロ入門。91年デビュー。93年、第4回ヤングライオン杯優勝、欧州武者修行へ。CWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得。95年、帰国、蝶野、ヒロ斎藤と狼群団を結成。蝶野とのコンビでIWGPタッグ王座に2度君臨。97年にNWO軍入り、G1では準優勝。99年、小島とのコンビでIWGPタッグ王座に。00年、蝶野のT2000入り。5度目のIWGPタッグ王座を獲得。01年、G1タッグで小島と組み優勝。02年、小島が新日離脱。3月にIWGPタッグ王座に返り咲く。05年、小島聡とIWGPヘビー&三冠ヘビー級のダブルタイトルマッチを行い、59分49秒の激闘の末KO負け。5.14の東京ド−ム大会にて19分34秒、小島聡からIWGPのベルトを奪還。10月30日神戸ワールド記念ホールで天山広吉とともに棚橋弘至 & 中邑真輔 組からIWGPヘビー級のベルトを奪い第48代王者となる。 |
中西学 1967年1月22日生まれ 京都府京都市出身 186cm 125kg 血液型A型 得意技:
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高校時代にはアマレスで活躍。専修大学ではフリースタイル100キロ級で全日本選手権3連覇を達成。卒業後、和歌山県の教育庁に勤めた後、91年、新日本プロレスのアマレス部門「闘魂クラブ」に入団。92年のバルセロナ五輪に出場後、新日本プロレス入門。95年、第6回ヤングライオン杯で優勝、米国武者修行へ出発、WCWマットでクロサワの名で活躍。96年帰国。97年、小島と組みIWGPタッグ王座。99年、G1初優勝、永田と組みIWGPタッグ王座。00年、格闘集団「G−EGGS」の一員となる。01年に女優の近藤典子と結婚。野人キャラをケンドーカシンにからかわれている。1.2.3.ふぉー!というかけ声で一世風靡しようと目論む。 最近はさんまのからくりに出演し、ボビーオロゴンを応援した。尊敬するレスラーはマサ齋藤。趣味は釣り。愛読書は人間の証明。 学ぶっ子倶楽部 中西学のファンサイト。 |
「太陽の天才児」 棚橋弘至 1976年11月13日生まれ 岐阜県大垣市出身 181cm 107kg 0型 |
高校時代は野球。立命館大学時代にアマレスを始め、フリースタイル85キロ級で活躍。大学2年の時に新日本プロレスの入門テストを2度受けるも不合格。大学3年の時に新日本プロレスの入門テストを再々度受け、見事合格。大学を退学してすぐ入門しようとするも会社側から「大学は出ておけ」と言われ、退学する事を止め独学でトレーニングし鍛える。99年に新日本に入門、デビュー。00年に左手中手骨を骨折、01年に復帰。5月より、鈴木健三(現、鈴木健想)と同期タッグを結成。 02年、交際中の女性との別れ話のもつれから、背中を2ケ所ナイフで刺される。 尊敬するレスラーは藤波辰爾。愛読書はIRONMAN。好きなテレビ番組は内村プロデュース。 武藤敬司を超えることはできるのか。 得意技:
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中邑真輔 1980年2月24日生まれ 京都府出身 得意技:
-夢と希望- 中邑真輔応援サイト |
高校時代にアマレスを始め、青山学院大学時代はレスリング部主将。98年JOC杯全日本ジュニア選手権フリースタイル83キロ級優勝、00年世界学生選手権予選フリー85キロ級3位、01年全日本選手権フリー97キロ級4位。01年、新日本プロレスの入門テストに合格、02年3月、新日本プロレス入門。その後、アメリカ・ロス道場で格闘技修行を積む。03年、デビューわずか約1年4ヶ月史上最年少第34代IWGPヘビー級王者となる。。 2004年、高山善廣を破りNWFヘビー級王座に輝くも翌日ベルトを封印。 2004年、のK-1 ROMANEXで2003年大晦日のDynamite!!からの因縁の相手アレクセイ・イグナショフと総合ルールで決着をつけ、総合を封印しプロレス一本に絞り、棚橋弘至とのタッグで第47代IWGPタッグ王座を獲得。 柴田勝頼・棚橋弘至とともに「新闘魂三銃士」と呼ばれるようになる。 2005年、U-30無差別級王座を獲得し、封印。3月26 日、IWGPヘビー級を全日本の小島から奪還すべく挑戦するも60分の時間切れ引き分けに終わる。尊敬するレスラーはスティーブ・ライト。 instinct 中邑真輔のファンサイト。 |
本名:猪木寛至 テーマソング: 猪木ボンバイエ 得意技:
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1943年2月20日生まれ。 長嶋茂雄と同じ日 神奈川県横浜市出身。御存じ「燃える闘魂」 1957年、一家でブラジルへ移住。1960年、ブラジルで力道山によりスカウトされ、日本へ帰国。デビューはジャイアント馬場と同日。1963年、力道山が赤坂で暴力団員に刺され死去。 1972年、「新日本プロレス」旗揚げを発表。モハメド・アリとの対戦。 1989年、スポーツ平和党を結成。後の選挙にも当選し、史上初のレスラー出身の国会議員となり、様々な政治活動を行った。特に湾岸戦争前夜にイラクにおいて行ったイベントにより、人質状態にあった在留日本人の解放に貢献した。1998年4月4日、東京ドームで引退。 パラオの国賓であり、パラオで年々減少傾向にあるサンゴの養殖、イルカの水族館などパラオの自然保護をも事業として行っている。 日本に最初にタバスコを持ち込んだ |
入場曲:INOKI BOM-BA-YE(オーケストラ) 1970年10月16日生まれ 千葉県船橋市出身 得意技:
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日本大学時代はアマチュア・レスリングで89年より全日本学生選手権4連覇、全日本選手権2度優勝。96年5月、新日本プロレスに入門。2000年、新日本プロレスから退団しPRIDE GP 2000に参戦。2001年 アントニオ猪木会長から旧IWGPベルト王者として指名を受け、IWGP王者のスコット・ノートン選手とIWGP統一戦を行い、見事スリーパーで撃破し、2本のIWGPベルトを獲得。第29代王者になる。2003年 5月 「PRIDE 26」にてエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦。裸締めで敗れる。2004年5月22日 K-1 ROMANEXでボブ・サップに勝利。IWGPヘビー級王座を棚橋弘至選手と決定戦を行い、レフェリーストップにて勝利し第38代IWGPヘビー級王座に返り咲く。 K-1 Dynamite!にてカラム・イブラヒムにKO勝利。 2005年、 7月18日(月)札幌・月寒グリーンドームにて13分59秒 ヒザ蹴りから 片エビ固めにより天山広吉を下し第43代IWGPヘビー級王座となる。8月 新日本プロレス G1クライマックス2005初参戦 10月8日 新日本プロレス B・レスナー選手、蝶野正洋選手と3WAY戦を戦うがレスナー選手が勝利しベルトを失う。 2006、猪木事務所から独立。 |
タイガーマスク(初代) 本名:佐山聡 173cm 95kg 3代目:金本浩二 4代目:新日本所属 新格闘技団体「掣圏道」設立。 得意技:
ほかTIGERMANIAに技解説あり。 |
1957年11月27日 山口県下関市出身 75年、新日本プロレスに入門。76年、デビュー。78年メキシコ遠征。79年、NWA世界ミドル級王座を獲得。80年にイギリスに遠征。サミー・リーを名のる。81年、新日本プロレスでタイガーマスクとしてデビュー。82年、WWFジュニアヘビー級王座、NWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得。ブラックタイガーでWWFジュニアヘビー級王座奪還、第8代王者に。82年度プロレス大賞でMVP、技能賞の2冠。83年にツームストン・ドライバーを受け、頚椎挫傷を負い欠場。新日本のメキシコUWA遠征に参加、WWFジュニアヘビー級王座に。その後、新日本に契約解除を通告し、引退。84年、UWFにザ・タイガーとして出場し、シューティング路線へ。その後、UWF脱退。新格闘技シューティングの確立。暴露本の出版などから、次第にプロレス界とは断絶。94年、新日本で「初代タイガーマスク」佐山聡が素顔で復帰も、この試合を芝居と発言する。また佐山をタイガーとして復帰させる話に、当時メキシコ遠征中だった3代目タイガー(金本浩二)が反発、素顔になるきっかけとなる。95年、猪木主催興行で、初代タイガーマスクとして再デビュー。完全にマスクマンに戻り、往年の虎殺法の数々を披露した。その後、みちのくプロレス、UWFインター、東京プロレス、WAR、冴夢来プロレス、バトラーツなどに参戦。新日本プロレスにも参戦。猪木の主催するUFO(世界格闘技連盟)の設立に尽力する。98年、UFO旗揚げ戦に初代タイガーマスクとして出場。UFO旗揚げ第2戦では素顔でファイトし、レフェリーストップ負け。99年、UFO第3戦で連敗。UFO離脱。尊敬するレスラーはカール・ゴッチ、アントニオ猪木。2004年の反省点はバターを食べ過ぎたこと。2005、第47代IWGPジュニア王座。2006、第49代IWGPジュニア王座。 今のタイガーマスクは173cmの87kg。70年10月20日生まれ。尊敬するレスラーは初代タイガーマスク。 |
ブラックタイガー 176cm/98kg |
メキシコマットに出現した正体不明の3代目・黒の虎。2001年、アレナ・メヒコにおける6人タッグマッチでデビュー。当初はテクニコ(正当派)だったが、現在はルード(悪役)に転身。日本人を自称しているが、メキシコのルチャドールの転身。2001年に新日マット初登場、K・カシンとのコンビでG1ジュニア・タッグ・リーグ戦に出場、IWGPジュニアタッグ王座にも挑戦。2002年3月にT2000入りをした。 2005年10/8、IWGP、NWAジュニアヘビー級ダブル選手権試合にて、タイガーマスク(IWGP王者)を12分1秒 片エビ固めで破り、 NWA王者と第48代IWGPジュニア王座の2冠王者となる。 |
獣神サンダーライガー 本名:山田恵一 「山田はリバプールの風になった」(ライガー談) 1964年11月10日 広島県広島市出身 170cm 95kg 血液型AB型 入場曲は怒りの獣神(弘妃由美) 怒る獣神 :応援サイト 得意技:
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高校ではレスリング部。フリースタイル75キロ級でインターハイ出場。高校卒業後、新日本プロレスの入門テストに応募したが、身長が足らずに不合格。メキシコに渡り、ルチャの修行を行う。テレビ解説のためにメキシコに来ていた山本小鉄と面談し、入団内定。83年、新日本プロレスに入団。84年、デビュー。86年、第2回ヤングライオン杯優勝、イギリス遠征。欧州世界ミドルヘビー級王座獲得。87年帰国。89年再びイギリス遠征後、獣神ライガーとしてデビュー。獣神ライガーは、当時テレビ朝日で放送がはじまった永井豪原作のキャラクター。テレビ放送を盛り上げるためのタイアップ企画。IWGPジュニアヘビー級王者。90年より獣神サンダー・ライガーに改名。91年、米国に進出、WCW世界ライト・ヘビー級王座獲得。92年、トップ・オブ・ザ・スーパ ージュニア初優勝。94年にはジュニアのオールスター戦「スーパーJカップ」を実現させる。ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに優勝し、95年、第2回スーパーJカップを制覇。97年、第3代ジュニア8冠王者。98年、IWGPジュニア王座でV8。99年、グレート・サスケと組みIWGPジュニアタッグ王座。00年にはスーパーJカップ2連覇。01年、エル・サムライとIWGPジュニア・タッグ王座。ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで大会史上初の全戦優勝。 尊敬するレスラーは自分自身。現在黒ライガーに変身してCTU結成。愛読書は山本周五郎、藤沢周平、椎名誠。 |
「無我の説法家」 1971年9月23日生まれ 東京都文京区出身 得意技:
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西村修公式ホームページ
高校在学中に新日本プロレス学校に入門。卒業後の1990年に新日本プロレスに入門。1991年デビュー。1993年、海外武者修行に出発。1995年に帰国し、藤波辰爾の自主興行「無我」にもレギュラー出場。1997年、再び海外修行へ出発し、欧州CWAマットに参戦。1998年1月4日に凱旋帰国。その後、後腹膜腫瘍により欠場。手術後も独自の食事療法と精神修行に励み、2000年に藤波戦で復帰。コーナーやロープに詰めた相手の肩をポンと叩いて離れる英国式ブレイクアップ、ヘッドシザーズを倒立で返すなど、独特な間合いと動きは他のレスラーにはない魅力がある。2004年、映画「いかレスラー」に主演。西村は主題歌も歌っている。 05、2年3カ月振りとなる無我興業を開催。尊敬するレスラーはヒロ・マツダ、マサ齋藤、藤波辰爾。愛読書は深夜特急。好きなテレビ番組は気象情報。ちなみに2005年、アメリカにて立ちションをしていたところ、警察に見つかり現行犯逮捕されている。 2006。新日本から脱退。 |
田中 稔(ヒート) 175cm/94kg 1972年11月29日生 愛知県小牧市出身 血液型:O型 |
器械体操とシュートボクシングの経験あり。93年、藤原組に入門、94年デビュー。トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン、リングスにも参戦。95年、格闘探偵団バトラーツの設立に参加。97年5月、UWA世再三ドル級王座を獲得、99年にはJJC争奪リーグ戦で優勝。99年、新日マット初参戦。2000年、金本と再度 IWGPジュニア・タッグ王座に挑み、第5代王座に君臨。同年1にバトラーツを退団しフリーとなる。高岩を破り第39代IWGPジュニア・ヘビー級王者。2001年、正式に新日本プロレスに入団 。2002年、第42代IWGPジュニア・ヘビー級王者に返り咲いた。ライガーと組み邪道&外道を破り第8代IWGPジュニアタッグ王座を奪取。ヒートはテレビゲーム「闘魂ヒート」から。通常のヒートの他にタイガー・ヒート、ドラゴン・ヒート、フェニックス・ヒートがいる。2002年に初登場し、G・シルバにドロップキックを見舞って病院送りに。記者会見の席上で自らマスクを脱ぎ、「ヒートは田中稔の生まれ変わり」であることを明かす。2代目ヒートとなり、EMLLマットで活躍したあと、新日マット初参戦を果たし、邪道を破り第46代IWGPジュニアヘビー級王者に輝く。 2003年、ヒートから素顔に戻った後、CTU入りを宣言。IWGPジュニア王座最多防衛記録V11を達成したが、2005年、東京ドームでタイガーマスクに破れ王座転落。4月19日より本名から「稔」に改名。 5月14日、後藤洋と組み金本・井上組からIWGPジュニアタッグベルトを奪い第15代チャンピオンとなる。 |
後藤洋央記 182cm/90Kg 1979年6月25日 三重県桑名市 出身 血液型:O型 |
高校時代は柴田勝頼が同級。国士舘大学時代には、フリースタイル、グレコローマンスタイルで活躍。大学卒業後、01年新日プロ入りを果たしたが、肩の怪我のため、新日プロを一旦離れた。02年入門テストに合格。03年デ ビュー。デビュー21戦目にして初勝利を挙げた。2005年、第10回ヤングライオン杯で優勝。4月にはニュージャパンカップにもエントリー。 5月14日、稔と組み金本・井上組からIWGPジュニアタッグベルトを奪い第15代チャンピオンとなる。 かなり見ごたえのあるバックドロップを放つ。 |
ブロック・レスナー |
2005年、10月8日、IWGPヘビー級選手権試合3WAY戦 にて、8分8秒 片エビ固めで蝶野正洋(挑戦者) 、藤田和之(王者)を倒し第44代IWGPヘビー級王者となる。 BRUTAL LOGIC ファンサイト |
「青い目のサムライ」 ジョシュ・バーネット 1977年11月10日生まれ ワシントン州シアトル出身 191cm 117kg |
マット・ヒュームが主宰するAMCパンクレイションに所属。柔道2年、レスリング3年、ムエタイ6年。96年、19歳でプロ格闘家としてデビュー。99年、第2回アブダビ・コンバット98キロ超級、無差別級に出場。スーパー・ブロウル13ヘビー級トーナメントで優勝。02年、史上最年少でUFCヘビー級王者。03年、新日マット初参戦。パンクラス両国大会に出場し、近藤有己の持つキング・オブ・パンクラス・無差別級王座を奪取、第10代王座に輝く。高橋義生、前王者S・シュルトの挑戦をそれぞれ退け、2度の防衛に成功。04年2月、新日プロと所属選手契約を結び、コーチとしても活躍。 総合でミルコクロコップと対戦するも敗れる。プライド30にて再戦するも判定で敗れる。 |
「フライングタンク」 吉江豊 180cm 120kg 血液型O型 得意技:
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1974年1月5日 群馬県前橋市出身 学生時代は柔道。アニマル浜ロジムでトレーニング後、94年、新日本プロレスに入門。95年のデビュー第2戦で右足首を骨折し戦線離脱。98年、欧州遠征。CWAマットに参戦し、相撲スタイルでファイト。カナダ・カルガリーでは打撃特訓も経験。00年3月に帰国し格闘集団「G-EGGS」の一員となる。02年4月、ノアに初参戦し、ワイルド2(森嶋、力皇)のGHCタッグ王座に挑み敗退。森嶋とのシングル対決には勝利。 尊敬するレスラーはサンダー杉山。愛読書は週刊ゴング。好きな映画は薬師丸ひろ子の里見八犬伝。 2006、新日本から退団。 |
1973年3月15日生まれ O型 得意技:
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1988、 高校入学と同時に松濤館空手に入門し初段獲得。 91、前田日明が主催するリングスの第1回新人テストに合格。 92、デビュー。97、リングス軽量級の「トーナメント21」に優勝、初代王者。99、椎間板ヘルニアの為長期欠場。01、リングスを退団。 新日マット参戦。第40代IWGPジュニア王者。 02、新日本プロレスに入団。 03、右肩鎖関節損傷の治療のため欠場。 尊敬するレスラーは前田日明。愛読書は司馬遼太郎。趣味は読書、針仕事、一輪車、バイク。2006、新日本から脱退。 |
193cm 130kg 血液型A型 得意技:
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1963年10月9日 東京都大田区出身 中学卒業を前に大相撲の九重部屋入門。90年、小結に昇進。四股名は孝乃富士。双羽黒から2度の金星を挙げている。92年の夏場所を最後に角界を退き、93年、新日本プロレス入門。94年、デビュー。猪木とのタッグを経験。97年、「飛翔」五番勝負。G1初出場。00年12月31日、「猪木祭り」で小川と対決。大相撲時代からギャンブル狂いが止まらず、借金、離婚。01年、猪木に弟子入りし渡米。LAジムで特訓を積み、「PRIDE13」で佐竹雅昭に判定勝ち。猪木軍団の一員としてK1との対抗戦にも出陣。12月31日の猪木祭ではジェロム・レ・バンナに勝利。02年、第30代IWGPヘビー級王座を獲得。 Yasty Museum - 栄光時代のデータベース |
マサ斎藤 本名:斉藤昌典 1942年8月7日 東京都中野区出身 180cm 115kg 血液型A型 得意技
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明大レスリング部。63年の全日本選手権でフリー、グレコのヘビー級で優勝。64年の東京オリンピック出場。65年、日本プロレスに入門。66年に猪木、豊登が設立した東京プロレスの旗揚げに参加。東京プロレス崩壊後フリーとなり67年渡米。ロサンゼルスに行き、サンフランシスコに移動。キンジ・シブヤのパートナーに起用される。USタッグ王座、USヘビー級王座を獲得。72年に日本プロレスに参戦。74年からは新日本プロレスで活躍。79年、ヒロ・マツダと北米タッグ王座を獲得。81年にWWFタッグ王座を獲得。83年にAWAに定着。84年にケン・パテラが起こした警官暴行事件に巻き込まれて1年間の刑務所暮らし。日本では83年から長州が結成した維新軍団の参謀格。87年、巌流島で猪木と2時間5分14秒 におよぶ死闘。90年、AWA世界ヘビー級王座。IWGPタッグ王座にも長州、橋本と組んで2度君臨。99年に引退。引退後はテレビ解説者として活躍。03年に新日本プロレスを退社、長州が旗揚げしたWJプロレスに入団。 |
坂口征二 1942年2月17日 福岡県久留米市出身 196cm 125kg 得意技:
「すべてを総合したら坂口征二が一番」(ミスター高橋)「新日本で一番ハードだったのは坂口との試合」(スタンハンセン)「日本人で一番強いと思ったのは坂口だ」(ダスティ・ローデス) 次男の憲二は俳優として活躍。 |
市立南筑高校の柔道部で活躍。明大に進学し、62年から66年にかけて全日本選手権5年連続出場。64年の全日本学生選手権で重量級優勝。65年、旭化成に入社。その年の全日本選手権に初優勝。翌年は準優勝だった。柔道5段。67年にプロレス入り。入団発表後に馬場とハワイで特訓、帰国し渡米デビュー。カール・ゴッチのコーチを受けビッグ・サカの名で人気を博す。この間日本とアメリカをまたにかけていたが、71年に猪木が退団した穴を埋めるため日本に定着。71年にアジアタッグ王座を獲得。72年、UNヘビー級王座を獲得。馬場と組みロインタータッグ王座を獲得。馬場の脱退後は大木との2枚看板となる。73年、小沢正志、木村聖裔、大城大五郎を伴い新日本プロレスに参加。坂口の入団によって、NET(テレビ朝日)は新日本プロレスのテレビ放送を開始。74年、猪木と組んで北米タッグ王座を獲得。77年よりアレン、ルスカと柔道ジャケットマッチを行い格闘技戦にも参入。79年には2種類の北米ヘビー級王座を奪取。83年、IWGP王座決定戦でホーガンのアックスボンバーをくらい猪木が失神KO負け。この結果は当時マッチメーカーだった坂口の筋書きとは違う猪木の独断だった。坂口は「人間不信」と書置きをして数日間出社しなかった。89年、新日プロレス社長に就任、猪木の右腕として活躍。90年に現役引退。その後新日本プロレス会長。 |
山崎一夫 1962年8月15日 東京都港区出身 184cm 103kg 血液型B型 得意技:
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都立玉川高校を卒業後、81年に新日本プロレス入門。82年デビュー。初代タイガーマスクの付き人だったことから、83年に引退した佐山と共にリングを離れた。スーパータイガー・ジムのインストラクターを務める。84年、佐山と共に第1次UWFで復帰。85年、新日プロに戻る。87年、IWGPタッグ王座を獲得。88年、第2次UWF設立に参加。91年、高田らとUWFインターを旗揚げ。95年、フリーとなり、新日本プロレスに登場。96年、IWGPタッグ王者。97年、IWGPタッグ王座。99年に新日プロ所属となったが、気管支拡張症、及び肺挫傷による現役引退発表。00年引退。その後「鍼、灸、整体、脊椎矯正」の「山崎バランス治療院」を神奈川県海老名市で開業。 |
山本小鉄 本名 山本勝 1941年10月30日 神奈川県横浜市南区出身 172cm 100kg 得意技:
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横浜商業高校卒業後、東海金属に就職。YMCAのジムでボディビルに取り組む。63年に日本プロレス入門。2度の韓国遠征。67年、星野と共にアメリカ遠征。ヤマハ・ブラサーズとして、テネシー州タッグ王座を獲得。テキサス州ダラス、ヒューストン地区で活躍。エリック家に寄宿し、オフの日には息子の子守りや犬の散歩までした。72年、猪木らと新日本プロレスを旗揚げ。74年に星野とのヤマハ・ブラサーズを復活。79年、IWA世界タッグ王座。80年に現役引退後は鬼コーチとして後進の指導に当たり、テレビ解説者としても活躍。試合後はスクワットを行う。初代タイガーマスクをモデルにプロレス技術書「ザ・ストロング・スタイル」を執筆。レフリーとしても活躍した。レフリー引退後は企画宣伝部長を経て、新日本プロレスサービス社長に就任。 |
星野勘太郎 本名 星野建夫 1943年10月9日 兵庫県神戸市出身 得意技
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神戸商高ではボクシング部。61年に日本プロレス入門。リングネームは股旅物の「伊那勘太郎」から。名付け親は押山保明宣伝部長。67年、山本小鉄と共にアメリカ遠征。カリフォルニアTV王座を獲得。グレート・ヤマハを名乗る。タマヨ・ソト(プエルトリコ人)と組んでNWA世界タッグを獲得。南部ジュニアヘビー級王座を獲得。山本をテネシーに呼んでヤマハブラザースを結成。NWA世界タッグを獲得。70年、「第1回NWAタッグリーグ戦」で猪木と組んで優勝。71年、ミル・マスカラスが日本マットに初登場した時の対戦相手になる。73年、メキシコを中心に3度目の遠征、レネ・グアハルドとカベジェラ戦は年間最高試合となる。74年1月より新日マットに参戦し、山本とのコンビを復活。79年1月には山本小鉄と国際プロレスのリングに乗り込み、グレート草津、アニマル浜口組からIWA世界タッグ王座を奪取。95年、両国国技舘で引退。02年、長州退社後に新日本プロレスに復帰、魔界倶楽部の総裁となる。03年、東京ドームで行われた新日本プロレス「ULTIMATE FESTIVAL」で、魔界マスクをかぶり新日本OBバトルロイヤルに出場。当初レフリーだった山本小鉄は永源らの挑発を受けて試合に出場し、ヤマハブラザースが復活。最終的にこの2人がリングに残り、マスクを脱いだ星野は小鉄と対峙。しかし、両者はともに手を挙げ、「2人で1人だ!」と主張。それが認められ、ヤマハブラザーズの両者が優勝。 |
Lou Thesz 1916年4月24日 ミシガン州バナット出身 191cm 110kg 得意技:
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「鉄人」 本名 アロウィシャス・マーティン・テーズ ハンガリー系のアメリカ人。父親のマーチン・テーズもレスラー。35年にプロレス入り。37年、21歳でNWA世界ヘビー級王者。NWA王座は通算6度獲得。48年から55年の間、無敗のチャンピオンとして君臨。936連勝。57年1に日本プロレスに初来日。力道山と2連戦を行い王座防衛。王座転落をしてからは故郷で家具屋を経営、これに失敗し新日本プロで活動。87年、オールド・タイマーズ・バトルロイヤルで優勝。90年に蝶野正洋に敗れ74歳で引退。引退後はUWFインターの最高顧問。02年、3年ぶりに来日。UWFスネークピット代表の宮戸優光の挙式の媒酌人を務めた。フロリダ州オーランドの病院で心臓バイパス手術後に肺炎を併発させて死去。享年86。 |
「プロレスの神様」 カール・ゴッチ KARL GOCTH 本名:カール・イスタス 1924年 西ドイツ・ハンブルク出身 188cm 110kg 得意技:
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16歳で一般アマレス全ドイツ・ヘビー級王座を獲得。イギリスのビリー・ライレージム(蛇の穴)でテクニックを磨き、59年カール・クラウザーの名で渡米。彼の編み出した「原爆固め」は次々と相手レスラーをねじ伏せていった。61年に日本プロレスに初来日。62年、AWA世界ヘビー級王座を奪取。しかしその後は相手を引き立てない戦い方からプロモーターたちからは敬遠され、試合を干される。66年に日本プロレスに登場。若手のコーチ、通称「ゴッチ教室」を始める。68年から69年にかけて日本に滞在し、コーチとして日本プロレスの若手を指導。71年、国際プロレスに登場。帰国後、ピエール・エマリンの名でWWWFに進出。WWWF世界タッグ王座を獲得。72年、新日本プロレスで猪木とシングルで対戦し、勝利。全日本プロレスと国際プロレスに比べ、初期の新日本プロレスには外人レスラー獲得ルートがほとんどなかったが、ゴッチは新日本プロレスの最初期のブッカーとして多くの外人レスラーを来日させた。新日本プロレスはゴッチを「プロレスの神様」と称した。日本人選手の愛弟子も多く、猪木、ヒロ・マツダ、藤波辰巳、木戸修、藤原喜明、前田日明、船木誠勝など彼を尊敬する選手は多い。長州はフロリダのゴッチ道場に何度か通った後、見切りをつけて教わるのをやめた。旧UWF、第二次UWF、藤原組の最高顧問を務めた。 |
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●プロレスの楽しい見方 | プロレスとは、そしてプロレスを楽しく見るために心掛けておきたいこととは。プロレスに対する考え方は人それぞれ違います。全くプロレスを知らない人も、プロレスの面白さがわからない人も、一度プロレスを見に行ってみればプロレスの魅力にはまってしまうことは間違いなしです。 |
●プロレスリング・ノア | 三沢が2000年に旗揚げた団体。小橋建太、丸藤正道、KENTA、秋山準、鈴木鼓太郎ほか。 |
●全日本プロレス | 2002年、武藤敬司らが新日本プロレスから移籍、社長に就任。 川田利明、小島 聡、太陽ケア、 カズ・ハヤシ、渕 正信、馳 浩、石狩太一、 諏訪間幸平、R・O・Dほか。 |
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みちのくプロレス、DRAGON GATE、KAIENTAI-DOJO、大坂プロレスなどの団体の解説とリンク。 | |
●フリー選手 | 天龍源一郎、佐々木健介、高山善廣、鈴木みのる、長州力ほか。 |
●プロレス歴代MVP |
東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞MVP選手を見ればプロレスの歴史がわかる。現役ベルト保持者表もあり。 |
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