興業 | 解説 |
PRIDE公式ホームページ
メインリングアナ ケイ・グラント |
PRIDEとは、イベント興行会社であるDSE(Dream Stage Entertainment)が主催する格闘技イベント。 第一回目は1997年に開催、当時世界400戦無敗と名高かったヒクソン・グレイシー対日本人プロレスラーの高田延彦の対戦で注目を集めた。2000年のPRIDE.10で、アントニオ猪木がエグゼクティブ・プロデューサーに、2003年には、高田延彦がPRIDE統括本部長に就任。2003年大晦日の興行 (DSEとフジテレビがPRIDE SPECIAL 男祭り 2003、アントニオ猪木と日本テレビがイノキボンバイエ2003 馬鹿になれ 夢を持て、K-1とTBSがK-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!) 以来、猪木、百瀬は離反。2003年ミドル級GPが開催。桜庭和志、吉田秀彦らを破ったミドル級初代王者のヴァンダレイ・シウバが優勝に輝く。 2004年からヘビー級GPが行わた。 2004年12月31日、『PRIDE男祭り2004-SADAME-』開催。マーク・ハントがそれまで無敗だったヴァンダレイ・シウバを下すなど大いに盛り上がる。PRIDE GP決勝では、ヒョードルがノゲイラを下し、ヘビー級統一王座に輝いた。 高田延彦、桜庭和志、吉田秀彦、小川直也、瀧本誠、ヒクソン・グレイシー、ミルコ・クロコップ、ヴァンダレイ・シウバ、エメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン、マーク・コールマン、ヒース・ヒーリング 、ハイアン・グレイシーほか |
SRS
金曜 26:15〜26:45 |
格闘技情報番組。SRSとは格闘技を観戦するうえでの最高級シート "Special Ring Side" の頭文字をとったもの。浅草キッド、東原亜希、谷川貞治 |
高田 延彦 本名:高田伸彦 1962年4月12日生まれ 神奈川県横浜市出身 妻は女優の向井亜紀 |
元プロレスラーで、PRIDE統括本部長である。 1980年、新日本プロレスでプロレスラーとしてデビュー。その後、前田日明、山崎一夫らとともに新日本プロレスを離脱しUWFに参加。 UWFが崩壊すると自らUWFインターナショナルを立ち上げ自主興行を行い、SWSや新日本プロレスに参戦し積極的に他流試合を行う。UWFインターナショナル解散後キングダムを設立するが、これも短期間で崩壊。そして、「高田道場」を設立し、現在に至る。 1995年、さわやか新党代表として参議院比例代表区に出馬するも落選。キングダムの初期、総合格闘技興行「PRIDE」を開始。PRIDEでは創生期に活躍、ヒクソン・グレイシーとも2度対戦するが敗戦を喫する。2002年、田村潔司との試合で引退。 大晦日の特別興行「PRIDE男祭り」のオープニングでは、ファンを驚かせるパフォーマンスで開会宣言する事で話題となる。2003年はさいたまスーパーアリーナの地上60メートルの屋上に立ち、2004年はふんどし一丁で暴れ大太鼓を叩いた。現在は高田道場社長、PRIDE統括本部長、プロレスイベントハッスルの高田総統。 |
桜庭和志 1969年7月14日生まれ 秋田県秋田郡出身 |
レスリングを秋田商業高校で始め、インター杯団体戦2位。 中央大学では東日本新人戦優勝、全日本学生選手権4位に就きレスリング部に主将となる。 1992年、UWFインターナショナルに入門。1993年、デビュー。 1996年、新設のキングダムに移り、1997年、「UFC・J」のヘビー級トーナメントに優勝して「プロレスラーは本当に強いです。」との名言を残す。1998年に、高田道場に移籍。 主戦場をPRIDEに移した。 連勝を続けて1999年、ホイラーグレイシーに勝利。 日本人がグレイシー一族を破ったのは1951年、柔術ルールでエリオを下した木村敏彦以来48年ぶりだった。 2000年、ホイス・グレイシーとの90分の最高試合、以後もヘンゾ、ハイアンと次々グレイシー狩りに成功。 入場パフォーマンスや試合中使うモンゴリアン・チョップ等のプロレス技でファンを沸かせてPRIDEブームの原動力となる。 2001年、ヴァンダレイ・シウバに3連敗、PRIDEミドル級のベルトに手が届かず。 ミドル級最強を決定するPRIDEグランプリ2005に全精力を傾け再度トップの座構築を図る。 2005男祭りでは美濃輪を破る。 |
Ricson Gracie ヒクソン・グレイシー 59年11月21日生まれ ブラジル・リオデジャネイロ 175センチ 86キロ |
グレイシー柔術の総帥エリオ(90)の3男。 柔術界最強の男と呼ばれ、その卓越した技術と勝負強さは伝説となっている。 ブラジルの総合格闘技、柔術、レスリングなどの試合で400戦以上してほとんど無敗。 94年に総合格闘技大会「バーリ・トゥード・ジャパン」で初来日し、圧倒的な強さで優勝。 得意技は腕ひしぎ逆十字固め、チョークスリーパー。 RICKSON GRACIE 公式サイト |
Mirko Cro Cop 1974年9月10日 クロアチア出身 188cm 103.0kg |
01年の8月、総合初挑戦となった藤田和之戦の勝利を皮切りに、永田裕志、桜庭和志を立続けに撃破。そしてヒーリング、ボブチャンチン、ドス・カラスJr.から勝ち星を重ねる。そして迎えたノゲイラとの暫定王者決定戦では、腕十字で初黒星。その後は、ウォーターマン、山本宜久をから勝利。しかしランデルマンに敗北。大山峻護を左アッパーで秒殺。ヒョードルの弟アレキサンダーを必殺の左ハイキックで一蹴。昨年末の『PRIDE 男祭り 2004 -SADAME-』では、ランデルマンをフロントチョークで秒殺。マーク・コールマンにも完勝。 |
「戦慄のヒザ小僧」 WANDERLEI SILVA ヴァンダレイ・シウバ 1976年07月03日 クリーチバ出身 182 cm 91 kg |
ミドル級最強。大山峻護、アレクサンダー大塚、田村潔司、金原弘光らが、敗北。2度の敗北の後、桜庭和志をも圧勝。さらに『PRIDE.20』ではヘビー級のミルコ・クロコップと対戦し、引き分けに終わった。パンクラス近藤有己、クイントン・ジャクソンもKOで退ける。PRIDEミドル級チャンピオンに加え、03年GPミドル級トーナメントでも優勝を果たす。最近ではK-1のマークハントと闘い判定負け。2005、男祭りでミドル級のベルトを守り抜いた。 |
「天下無双の火の玉ボーイ 」 五味隆典 神奈川県愛甲郡愛川町出身 1978年9月22日生まれ 173センチ 73キロ |
木口道場レスリング教室('00年10月 K'z FACTORYから移籍)。THE MAD CAPSULE MARKETSが好き。98年11月デビュー。 第5代修斗世界ウェルター級王者。 プロデビュー以来破竹の12連勝を飾る。この連勝記録は未だに破られていない。 現在、70kg級で“日本人最強”の評価を得ている。 グラウンド&パウンド屈指の使い手であり、レスリングもコンバットレスリング3連覇の実力。 『PRIDE武士道 その伍』では、初のメインイベンターとして勝利。 2005年9月に現・修斗世界ウェルター級王者の川尻達也と対戦し、勝利。 プライド男祭りにてマッハを破りライト級で優勝。 |
美濃輪育久 1976年1月12日生 岐阜県羽島市出身 A型 17×cm 体重 8×kg |
デビューは1997年7月20日パンクラス ネオブラッド・トーナメントにて 。趣味は修行。 好きな食べ物はすいか。好きな色は赤。好きな音楽はパンク。2005、プライド男祭で桜庭に敗れる。 山頂の火口に降りたいというお話しもありましたが? 美濃輪 「いや、降りなかったですけど、火口に石を投げました」 火口に石を投げた?それはトレーニングの内の一つですか? 美濃輪 「そうですね。まぁ、わざわざ火口に投げたと言うより、火口に投げないと大規模な落石につながるかもしれないですからね。」 公式サイトのメッセージより |
「レッドデビル」 EMELIANENKO FEDOR エメリヤーエンコ・ヒョードル 1976年09月28日 182 cm 103 kg |
幼少時代からサンボ、柔道を始め、1996年柔道ロシア選手権優勝、97年サンボロシア選手権優勝、1997年サンボヨーロッパ選手権優勝。2000年よりリングスで活躍し、その年に行われた『KOK2000』でヒカルド・アローナを破る。翌2001年には初代リングス世界ヘビー級王者に戴冠。さらに翌2002年にはリングス世界無差別級タイトルも奪取、リングス二冠に輝く。 2002年、『PRIDE.21』でPRIDE初参戦。セーム・シュルト、ヒース・ヒーリングを立て続けに撃破、『PRIDE.25』でPRIDEヘビー級王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに挑戦。判定でノゲイラを破り、第二代PRIDEヘビー級王者となる。 |
「ミノタウロ」 ANTONIO RODRIGO NOGUEIRA アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 1976年06月02日 リオデジャネイロ出身 191 cm 105 kg |
日本ではリングスマットに初登場、2000年2月の『リングスKOK1999』ではベスト4。そして2001年2月に行われた『リングスKOK2000』優勝。 PRIDEデビュー戦となった『PRIDE.15』ではゲーリー・グッドリッジに勝利。『PRIDE.16』でもマーク・コールマンからも完璧な腕十字で一本勝ち。そして『PRIDE.17』ではヒース・ヒーリングを制し、見事初代PRIDEヘビー級王座。 その後『PRIDE.19』でエンセン井上に完勝、8月の『LEGEND』で菊田早苗をパンチでKO。そして『Dynamite!』では、ボブ・サップに腕ひしぎ十字固めで勝利。2003年『PRIDE.25』での、エメリヤーエンコ・ヒョードルとの一戦では判定負け。 ミルコ・クロコップには見事一本勝ち。『PRIDE GP2004』では、決勝戦まで勝ちあがるも、ヒョードルの負傷によりノーコンテスト。再戦では判定負け。 |
小路晃の公式サイト | |
興業 | 解説 |
K-1公式ホームページ Kは「格闘技」、「空手」、「キックボクシング」、「クンフー」、「王=king」などの意味がある。創始者は当時正道会館館長、株式会社ケイワン社長の石井和義。 谷川貞治がイベントプロデューサーを、角田信朗が競技統括プロデューサーを、それぞれつとめる。 テーマ曲: プリンスのアルバム「ゴールド・エクスペリエンス」収録曲の「エンドルフィンマシーン」。エンディング曲は同じくプリンスの同アルバムの収録曲の「ゴールド」 K-1 WORLD MAXシリーズ
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コンセプトは空手、キックボクシング、カンフーなどの打撃系格闘技を統合して最強の格闘者を決める。 2002年、ミドル級部門「K-1 WORLD MAX」を設立。曙太郎とボブ・サップの対戦で世間の注目を集め、この試合はTBSが中継したが、KOシーンでは視聴率が初めてNHKの紅白歌合戦を上回った。 2004年、総合格闘技の「K-1 MMA Championship ROMANEX」を立ち上げた。 ボブ・サップと藤田和之の日米野獣対決では藤田が1R 2分15秒で蹴り倒して圧勝。同時に中邑真輔やジョシュ・バーネットなど新日本プロレス勢が全勝した。 優勝者 K-1 WORLD GPシリーズ
アーネスト・ホースト、シリル・アビディ、マイク・ベルナルド、ボブ・サップ、ピーター・アーツ、マーク・ハント、ジェロム・レ・バンナ、ミルコ・クロコップ、レイ・セフォー、アレクセイ・イグナショフ、マイケル・マクドナルド、フランシスコ・フィリォ、ブランコ・シカティック、レミー・ボンヤスキー、武蔵、曙太郎、ステファン・レコ、ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキア、フランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタ、天田ヒロミ、マイティ・モー、ガオグライ・ゲーンノラシン、ボビー・オロゴン、魔裟斗、小比類巻貴之、セルカン・イルマッツ、アルバート・クラウス、ブアカーオ・ポー.プラムック、山本"KID"徳郁、ドゥエイン・ラドウィック、マイク・ザンビディス、武田幸三、須藤元気、秋山成勲ほか |
セーム・シュルト SEMMY SCHILT 1973年10月27日 オランダロッテルダム 出身 身長211センチ、体重117キロ |
96年97年、北斗旗無差別選手権を完全制覇。 北斗旗を制覇した後、パンクラスに参戦し船木、近藤を撃破し第9代キング・オブ・パンクラシストになる。 PRIDE GP 2004ではセルゲイ・ハリトーノフに完敗。2005年、圧倒的な強さでK-1GP王者となる。打撃オンリーならば身長があるため相手のパンチはほぼくらわない。 |
1961年4月11日生まれ 大阪府堺市出身 |
関西外国語大学外国語学部英米語学科卒。 正道会館として初期のリングスに参戦。 1995年、デビュー。 2003年、引退。 引退後は、空手家・正道会館最高師範、K-1競技統括ディレクターやレフェリー、そしてタレントとして活動。 |
魔裟斗公式サイト 1979/3/10 千葉県出身 174cm 70.0kg O型 |
2000年11月「K-1 J・MAX」で、元ムエタイ王者ムラッド・サリと対戦、KO勝ち。現在、雑誌、テレビ、映画など、幅広く活動するほか、写真集も出す。K-1 WORLD MAX 2003〜世界一決定トーナメント〜では、決勝戦でクラウスをKOで破り、日本人初のK-1王者となびる。 |
アンディ・サワー Andy Souwer 1982年11月9日生まれ オランダ |
キックボクシング出身のオランダ人シュートボクサー。 元来、スーパーウェルター級を主戦場にしており、6つの世界タイトルを保持している(WKA、ISKA、WMTA、WPKA、FIMC、WSBA)。柔道や空手も学んでいた。 22歳という年齢にして100戦を超えるキャリア(試合)を積んでおり、アルバート・クラウス(K-1 WORLD MAX 2003優勝者)とは同門でもあった。 2000年頃からシュートボクシングに参戦し、しだいにキックボクサーではなくシュートボクサーとしてロングスパッツを履いて試合に臨むようになり、2003年にK-1 WORLD MAXに初参戦した時もまたシュートボクシング代表としてスパッツを履き試合に臨んだ。 2005年にはK-1 WORLD MAX 2005に出場し、前年の優勝者ブアカーオ・ポー.プラムックに延長判定勝ちし優勝した。 |
山本 徳郁 1977.3.15生まれ 神奈川県出身 B型 163cm /65kg |
物心ついた頃からレスリングを始める。家族はレスリング一家。父はミュンヘンオリンピック代表、姉、妹もレスリング世界選手権制覇。山本KIDもレスリングでは、インカレ優勝、全日本2位等の輝かしい実績を残す。大学卒業後、総合格闘技を学ぶためにエンセン井上に師事。そして総合格闘技“修斗”へ。ファイトスタイルは師匠同様アグレッシブそのもの。エンセン曰く「小さな(体の)大和魂」。2001年修斗ルーキーオブザイヤー、KO賞受賞。 2005、kー1ダイナマイトにおいて 須藤元気を破って優勝。 |
レミー・ボンヤスキー Remy Bonjasky 1976年1月10日生まれ オランダ出身 192cm 99.9kg |
「フライング・ダッチマン」 元銀行員、ファッションモデル。2003年、「WOLRD GP」を制覇。 WORLD GP 2004 決勝では武蔵を破って優勝。ミルコ・クロコップにはWORLD GP 2001で敗れたままである。 最近は武蔵同様判定勝ちが多い。2005のラスベガス大会でマイティモーに敗れる。 |
ブアカーオ・ポー.プラムック Buakaw Por.Pramuk 1982年5月8日 生まれ 174cm 68kg |
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ガオグライ・ゲーンノラシン 1983年9月13日 タイ 180 cm 85.0 kg |
通常体重は70キロ。2004年7月のASIA GPでは78キロまで増量して挑み、見事に優勝。もともとはいじめられっ子。タイの二大スタジアムの一つであるラジャダムナンスタジアムでウェルター、スーパーウェルター級と2階級制覇を果たす。得意技は右ミドルと右ストレート。自身の一番の夢はムエタイの強さを世界に示すこと。マイティ・モー を1R2分40秒、右ハイキックでKOするなど一撃の素質も十分に有る。 |
曙 太郎 1969年5月8日生まれ アメリカハワイ州出身 第64代横綱 外国人初の横綱 1996年日本に帰化 旧名:ローウェン・チャド・ジョージ・ハヘオ (Chad George Haaheo Rowan) 203cm 215kg |
ハワイではバスケットボールをしていたが、その体格を東関親方(元高見山)に見込まれ、相撲界入りする。入門当時は大海(たいかい)と名乗っていたが、三段目に大魁(たいがい)という力士がいたため混乱を避けるため曙に改名。大魁が引退した後の1990年3月場所に曙の弟が東関部屋に入門し、その大海を名乗ることができたが、僅か3場所でハワイに帰国。 長身を活かした突き押しが特徴。 通算優勝回数は11回で、同期の若乃花・貴乃花のライバルとして名勝負を演じ、平成の大横綱と称された 通算 63場所 566勝198敗181休 優11同3次11殊4敢2金4 。現役引退後は曙親方として東関部屋で後輩の指導をしていたが、、2003年11月、日本相撲協会を退職し、格闘技K-1に参戦することを発表。2003年12月31日、デビュー戦でボブ・サップと対戦、KO負け。うつ伏せになって倒れているシーンの視聴率は初めて紅白歌合戦を上回った。2004年3月27日、K-1 WORLD GP 2003準優勝の武蔵と対戦、判定負け。 2004年7月17日、中国の張慶軍(チャン・チンジュン)と対戦、判定負け。2004年8月15日、リック・ルーファスと対戦。、判定負け。 2004年9月25日、レミー・ボンヤスキーと対戦。3ラウンド失神KO負け。 2004年12月31日、ホイス・グレイシーと対戦、自身より138・も体重の軽い相手であったが、リストロックを決められ、1ラウンド負け。 2005にはプロレスにも参加。2005年最優秀タッグに武藤敬司とともに輝く。 |
「テクノ・ゴリアテ」 崔洪万(チェ・ホンマン) 1980年10月30日生まれ 韓国 身長 218cm 体重 160kg 「サップはカワイイ。黒豆みたいだ」 |
ジンアン大会2003優勝、天下壮士大会2003優勝、正月壮士大会2004優勝、ハムヤン大会2004優勝。 2003年大学を中退し、シルム相撲のプロチームLG投資証券へ入団。プロリーグの最高峰の舞台である天下壮士大会(無差別級)で優勝。大相撲の横綱を意味する天下壮士となった。12月6日に所属していたチームが解散。かねてより興味のあったK-1への転向となった。 |
須藤 元気 1978年3月8日 東京都江東区出身 175cm 73kg 胸囲100cm、 ウェスト75cm ヒップ99cm 血液型 B型 所属 ビバリーヒルズ柔術クラブ(L.A) 趣味: 読書、温泉、精神世界の勉強 好きな作家 司馬遼太郎、村上春樹 |
93年、高校入学と同時にレスリング部に所属。拓殖短期大時代の96年、全日本ジュニアオリンピックでジュニアチャンピオンとなり、ポーランドで開催された世界グレコ・ローマレスリング大会に出場。短大卒業後渡米し、サンタモニカ大学でアートを学ぶ傍ら「ビバリーヒルズ柔術クラブ」で格闘技を学ぶ。卒業後の99年8月に帰国、日本でプロデビュー。 2000年7月に、修斗のチャンピオンでもある宇野薫選手から勝利。この年の9月にはリングスに初参戦。12月には、山本喧一選手を下し、UFC-Jチャンピオンベルトを奪取。2002年2月にはK-1 WORLD MAXに参戦。。同年7月にはUFCに勝利し、日本人初のTAP OUT賞を獲得。10月にはK−1のリングでテコンドーのメダリストであるキム・ジンウをバックハンドブローでKO。2003年大晦日のK-1 Dynamite!!では体重差110キロのバタービーンを相手に勝利。 一方、2002年10月には窪塚洋介主演「凶気の桜」(東映)で映画デビュー。ネオ・トージョーのメンバー小菅信也を演じた。その他、ストリート系の雑誌等でモデルとしても幅広く活躍。格闘技、映画、モデル、ドラマ、全ての活動を通じて彼が世界に発信して行きたいというメッセージは「WE ARE ALL ONE」(すべては一体である)という思想。2005年、kー1ダイナマイト決勝において山本 徳郁に敗れる。 ファンレターの宛先 151-0053 東京都渋谷区代々木4-27-26-306 株式会社スーパーエージェント 須藤 元気 宛 |
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●プロレスの楽しい見方 | プロレスとは、そしてプロレスを楽しく見るために心掛けておきたいこととは。プロレスに対する考え方は人それぞれ違います。全くプロレスを知らない人も、プロレスの面白さがわからない人も、一度プロレスを見に行ってみればプロレスの魅力にはまってしまうことは間違いなしです。 |
●プロレスリング・ノア | 三沢が2000年に旗揚げた団体。小橋建太、丸藤正道、KENTA、秋山準、鈴木鼓太郎ほか。 |
●新日本プロレス |
1972年にアントニオ猪木が旗揚げ。ストロングスタイルを掲げ、プロレス最強を唱える。蝶野正洋、天山広吉、棚橋弘至、中邑真輔、永田裕志、獣神サンダー・ライガーほか。 |
●全日本プロレス | 2002年、武藤敬司らが新日本プロレスから移籍、社長に就任。 川田利明、小島 聡、太陽ケア、 カズ・ハヤシ、渕 正信、馳 浩、石狩太一、 諏訪間幸平、R・O・Dほか。 |
●ZERO-ONE、ハッスル、WWE | ZERO-ONE、ハッスル、WWEのプロレス団体と選手の解説とリンク。 |
みちのくプロレス、DRAGON GATE、KAIENTAI-DOJO、大坂プロレスなどの団体の解説とリンク。 | |
●フリー選手 | 天龍源一郎、佐々木健介、高山善廣、鈴木みのる、長州力ほか。 |
●プロレス歴代MVP |
東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞MVP選手を見ればプロレスの歴史がわかる。現役ベルト保持者表もあり。 |
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