アントニオ猪木とは |
リングネーム:アントニオ猪木 本名:猪木寛至 テーマソング: 猪木ボンバイエ 得意技:
1943年2月20日生まれ。 長嶋茂雄と同じ日 血液型:AB型 神奈川県横浜市鶴見区生麦町1687番地(当時)出身。 御存じ「燃える闘魂」というキャッチフレーズは、当時テレビ朝日プロレス中継アナウンサーの舟橋慶一の命名である。 |
アントニオ猪木の歴史 |
1943年、横浜市鶴見区に生まれる。父・佐次郎、母・文子。男7人、女4人の兄弟で、下から2番目の六男。 1948年、父・佐次郎が急死。 1950年、 横浜市立東台小学校に入学。 1956年、 横浜市立寺尾中学校に入学。この頃、大相撲からスカウトが来る。 1957年、一家でブラジルへ移住。祖父、母、三兄、四兄、弟と「サンドス丸」でブラジルに移住。航海の途中で 祖父が病死。青いバナナを食べたことはが原因とされる。 1959年、ブラジルの陸上地区大会で、砲丸投げ、円盤投げ、槍投げで優勝。オールブラジル大会でも円盤投げと砲丸投げで優勝。 1960年、ブラジルで力道山によりスカウトされ、日本へ帰国。デビューはジャイアント馬場と同日。 1963年、力道山が赤坂で暴力団員に刺され死去。 1964年(昭和39年) 3. 9 豊登とともに初渡米。 1965年(昭和40年) 12. 7 テネシー州ナッシュビルでマスクド・メディックスを破り、南部タッグ王座獲得。パートナーはヒロ・マツダ。 1966年、 同じくヒロ・マツダとのタッグで、エディ・グラハム、サム・スティンボート組を破り、NWA認定世界タッグ王座獲得。豊登とアメリカから帰国。東京プロレス設立を発表。東京蔵前国技館で旗揚げ興行。ジョニー・バレンタインを破り、メインを飾る。 大阪球場でジョニー・バレンタインを破り、USヘビー級王座獲得。 1967年、大阪府立体育館での国際プロレスとの合同興行を最後に東京プロレスを解散。 日本プロレスに復帰。 ジャイアント馬場とのタッグで、ビル・ワット、ターザン・テイラー組を破り、インターナショナルタッグ王座獲得。BIコンビの黄金時代の幕開けである。 1969年、第11回ワールドリーグ戦でクリス・マルコフを破り、初優勝。、NWA世界王座に初挑戦。(ドリー・ファンク・ジュニアと時間切れ引き分け) 1971年、米国ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムでジョン・トロスからUN(ユナイテッド・ナショナル)ヘビー級王座を奪取。帰国会見では女優の賠償美津子との婚約も発表。 第13回ワールドリーグ戦終了後、優勝したジャイアント馬場に、日本人同志の直接対決が組まれなかったことを不服として挑戦を表明。日プロは時期尚早としてこれを却下。 東京・京王プラザホテルにて賠償美津子と結婚。1億円挙式として話題となった。費用は日プロ負担の約束だったが、後の追放処分により反故にされ、莫大な借金を背負うことになる。 ザ・ファンクスに敗れ、インタータッグ王座転落。BI砲最後の試合となる。会社乗っ取りを企てたとして日プロを追放される。 1972年、「新日本プロレス」旗揚げを発表。モハメド・アリとの対戦。 「猪木ボンバイエ・炎のファイター」はもともとはモハメド・アリの伝記映画「アリ・ザ・グレーテスト」の主題曲だったが、闘いを終えて、芽生えた友情のしるしにアリからプレゼントされたものである。その原曲にアレンジを加えて1977年に発売されたものが会場で使用されているオリジナルである。「ボンバイエ」はやっちまえとか、ぶっとばせという意味で、アリが南アフリカに遠征した際に現地の人々が「アリ・ボンバイエ!」と応援したことに由来している。テーマソングである「猪木ボンバイエ」は、元々モハメド・アリの伝記映画の曲であったが、「ボンバイエ」とは、「Boma ye(ボマ・イェ)」がなまったものであり、「Boma ye」はリンガラ語(コンゴ民主共和国=ザイールの言葉)で「彼を殺せ!」を意味する。アリがコンゴの首都キンシャサでジョージ・フォアマンと戦った際の声援が由来とされている。 そして96年に新日本のオフィシャル・レーベルである「WOOD BELL」より、会場使用音源が初のCD化された。 アリ戦ルール全文
1972年、 東京・京王プラザホテルにて新日本プロレス設立を発表。東京・大田区体育館で旗揚げ興行。猪木はメインでカール・ゴッチと 対戦。リバース・スープレックスでフォール負けを喫す。 東京蔵前国技館でカール・ゴッチをリングアウトで破り、実力世界一のベルトを獲得。(再戦で敗れる)この試合は東京12チャンネルで放映され、話題を呼ぶ。 1973年、坂口征二の入団を期にNET(テレビ朝日)が「ワールドプロレスリング」の放映を開始(金曜夜8時)。タイガー・ジェット・シンが新宿伊勢丹前で猪木を路上で襲撃する事件が発生。 東京体育館でジョニー・パワーズを破り、NWF世界ヘビー級王座を獲得。IWGP以前の新日プロの看板となったタイトルである。 1974年、国際プロレスのエースだったストロング小林の挑戦を受け、NWF王座防衛。力道山対木村政彦以来の大物日本人対決は「昭和巖流島の決闘」として大反響を呼ぶ。 タイガー・ジェット・シンと対戦、アームブリーカーで腕を折る。ロサンゼルスで坂口征二と組み、K・V・ヘス、K・V・ショッツ組を破り、北米タッグ王座を獲得。 初のブラジル遠征、アンドレ・ザ・ジャイアントと対戦。 1975年、東京蔵前国技館でビル・ロビンソンとプロレス史上に残る名勝負。 1976年、柔道のミュンヘン五輪金メダリスト、ウイリエム・ルスカと初の異種格闘技戦を行い、バックドロップ3連発でKO勝ち。日本武道館でプロボクシング世界王者モハメド・アリと対戦し、引き分け。世界中の注目を集める。パキスタンのカラチにて同国の英雄アクラム・ペールワンの腕を折り勝利。ペールワン(No1)の称号を得る。 1977年、スタン・ハンセンと初対決。日本武道館でプロ空手世界スーパーヘビー級王者ザ・モンスターマンと異種格闘技戦史上屈指の名勝負。 1978年、第1回MSGシリーズでアンドレ・ザ・ジャイアントを破り、優勝。 プレ日本選手権でヒロ・マツダを破り、優勝。 1979年、ウガンダ共和国のアミン大統領との異種格闘技戦を発表(アミン王朝の崩壊で実現せず) 。新日、全日、国際3団体によるオールスター戦が開催。猪木は馬場と8年振りのタッグを結成、ブッチャー、シン組に勝利。試合後馬場にシングルでの対戦を申し入れたが、そのまま立ち消えに。 徳島市体育館でボブ・バックランドを破り、日本人初のWWFヘビー級王座を獲得。 1980年、極真空手のウイリー・ウイリアムスとの対戦で異種格闘技路線に一応の終止符を打つ。 メキシコシティーでタイガー・ジェット・シンを破り、UWA世界ヘビー級王座獲得。IWGP構想を発表。 1981年、最後のNWF戦でスタン・ハンセンを破り、IWGPに向けてベルを返上。アブドーラ・ザ・ブッチャーがIWGPに参加を表明、新日プロに参戦する。後にタイガー・ジェット・シンが全日に移籍し、新日と全日の間で引き抜き合戦が勃発。 国際プロレス崩壊後、新日本に登場した国際軍団と抗争を展開。猪木とラッシャー木村の初対決は猪木の暴走で反則負け。 1982年、ローランド・ボックとの元旦決戦に消化不良の反則勝ち。蔵前国技館でラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇と1対3の変則マッチ。2人を破った後、木村にリングアウト負け。 ハルク・ホーガンと組み、第3回MSGタッグリーグ戦優勝。 1983年、蔵前国技館で行われた第1回IWGP決勝戦でハルク・ホーガンのアックス・ボンバーに場外失神KO負けを喫す。「闘魂神話崩壊」と噂れる。猪木の事業であったアントン・ハイセルの失敗が新日本プロレスを経営危機に陥れているとの懸念からクーデター騒動。猪木が社長職、坂口が副社長職を辞任、新間寿は謹慎処分となる。 1984年、UWF旗揚げ。蔵前国技館で行われた第2回IWGP決勝戦で、ハルク・ホーガンをリングアウトで破り、念願の初優勝を果たすが、長州力の乱入による不透明決着に場内騒然、暴動騒ぎとなる。 1985年、両国国技館での初興行でブルーザー・ブロディーと初対決。両者リングアウトに終わるが、名勝負を展開し「闘魂神話復活」といわれる。 IWGP優勝戦でアンドレ・ザ・ジャイアントを破り2度目の優勝。 ハルク・ホーガンをリングアウトで破り、IWGP王座防衛。 藤波辰巳との師弟対決を卍固めのレフェリーストップで辛勝。IWGPタッグリーグ優勝戦で藤波辰巳に初のフォール負け。 1986年、UWF勢が新日プロ参戦。激しいイデオロギー闘争を展開。写真週刊誌フライデーに浮気報道され、「男のけじめ」として、坊主頭に。 アンドレ・ザ・ジャイアントに腕固めで世界初のギブアップ勝ち。レスラー生活25周年イベント「INOKI闘魂LIVE」でレオン・スピンクスと異種格闘技戦。フォール勝ちするも、凡戦に終わる。セミでは前田日明がドン・ナカヤ・ニールセンに快勝、明暗を分ける。 1987年、 「INOKI闘魂LIVEパート2」でマサ斎藤と対戦。海賊男の乱入により、怒った観客が会場に火をつける暴動騒ぎ。マサ斎藤とのノーロープ手錠マッチにTKO勝ち。長州力が新日プロに復帰し、世代闘争が勃発。マサ斎藤と巖流島で観客不在の死闘を展開。ビートたけし率いるTPGがビッグバン・ベイダーを伴い両国国技館に登場。ファンのひんしゅくを買い、 暴動騒ぎとなる。 1988年、長州力に初のフォール負けを喫する。「負けたら引退」と噂された藤波辰巳とのIWGP戦で60分フルタイムドロー。 1989年、スポーツ平和党を結成。後の選挙にも当選し、史上初のレスラー出身の国会議員となり、様々な政治活動を行った。特に湾岸戦争前夜にイラクにおいて行ったイベントにより、人質状態にあった在留日本人の解放に貢献した。 ソ連人レスラー初登場の日、長州のリキラリアートに完敗。 「一から出直し」を宣言し、第1試合に登場。鈴木みのるとも対戦。初の東京ドーム進出。ショータ・チョチョシビリに異種格闘技戦で初の黒星を喫する。尚美夫人と結婚。 会津若松で講演中、暴漢にナイフで切りつけられ、重傷を負う。しかし、傷口を押さえながら講演を続ける。 モスクワで初のプロレス興行。ショータ・チョチョシビリと組み、マサ斎藤、ブラッド・レイガンス組を破り、議員となって初の試合を飾る。 1990年、東京ドームで坂口征二と最後のタッグを結成。橋本真也、蝶野正洋組に辛勝。このとき初めて 「1、2、3、ダァーッ!」が行われる。中国に初遠征。7ケ月振りにリングに立つ。 レスラー生活30周年を迎え、横浜アリーナで記念イベント開催。因縁のタイガー・ジェット・シンと組み、ビッグバン・ベイダー、アニマル浜口組に勝利。湾岸戦争前夜のイラクにて「平和の祭典」を開催。日本人人質全員解放のきっかけとなる。 1991年、東京都知事選出馬表明(その後撤回)。中南米訪問。キューバのカストロ首相と会見。 1992年、東京ドームで馳浩とのスペシャルマッチに完勝。新日本プロレス20周年を記念して、木戸修と組み、長州力、木村健悟と対戦。日本の国会議員として初のカンボジア視察。 1993年、エチオピア、モザンビークを視察。 佐藤久美子元公認第一秘書が金銭疑惑を告発。 1994年、東京ドームで天龍源一郎と初対決。リング上から引退カウントダウウンを発表。 福岡ドームのファイナル・カウント・ダウン1stでグレート・ムタに勝利。10年振りのアメリカマット登場で、スティーブン・リーガルに勝利。ジョージ・フォアマンとの異種格闘技戦を発表(フォアマンの王座奪取により実現せず) 。金日成死去と核査察問題に揺れる北朝鮮を訪問。平和イベントの開催を表明。横浜アリーナのファイナル・カウント・ダウン2ndでウイリエム・ルスカに勝利。 1995年、東京ドームのファイナル・カウント・ダウン3rdでジェラルド・ゴルドー、スティングを連破。愛知県体育館のファイナル・カウント・ダウン4thで藤原喜明に勝利。 北朝鮮で「平和のための平譲国際スポーツ文化祝典」を開催。空前の38万人を動員。リック・フレアーに快勝。 スキャンダル騒動が響き、2度目の参院選に惜しくも落選。 大阪城ホールで自主興行「突然卍固め」開催。高田延彦と組み、藤原喜明、山崎一夫組に勝利。 1996年、東京ドームのファイナル・カウント・ダウン5thでビッグバン・ベイダーに勝利。WORLD WRESTLING PEACE FESTIVAL を開催。 「INOKIフェスティバルin代々木」開催。因縁の 海賊男と対戦。 1997年、東京ドームのファイナル・カウント・ダウン6thでウイリー・ウイリアムスに勝利。 東京ドームのファイナル・カウント・ダウン7thでタイガーキングに勝利。 1998年、東京ドームのリング上から4.4東京ドームでのファイナルマッチを正式に表明。東京ドームで引退試合。史上最多7万人の観客を動員した。ドン・フライにグランドコブラで勝利。 都内のホテルで引退記念パーティーが開催される。 7月に行われる参院選への不出馬とスポーツ平和党党首の辞任を表明。 格闘芸術追求を理念に、佐山、小川とUFOを旗揚げ。 1999年、 東京ドームでの橋本真也と小川直也の喧嘩マッチにより、新日本プロレスと絶縁状態になる。 橋本と小川の再戦が決定し、新日本との関係が復活。リングアナウンサーとして新日のリングに上がる。 2000年、「PRIDE」シリーズのゼネラル・マネージャーに就任する。 初の詩集「馬鹿になれ」を出版する。大阪ドームで猪木プロデュースの世紀末格闘技イベント「INOKI−BOM−BA−YE」が開催される。 2001年、米国ラスベガスで開催されたカリフラワー・アレー・クラブの年次総会で、第2回マーシャルアーツ功労賞を受賞する。 北朝鮮から帰国し「ピースライト」計画を発表。この計画は太陽エネルギーでライトを発光し、朝鮮半島境界線の38度線に光の道を作り、南北統一に向けた平和の象徴にしようという壮大な計画である。 猪木がゼネラルプロデューサーに就任した「イノキプロジェクト2002」が記者発表される。このプロジェクトは「闘魂ビジョン」と名付けられた3Dリプレーシステムの導入と猪木をデジタルキャラクターにした3DCG劇場アニメを制作する。 さいたまスーパーアリーナで「INOKI−BOM−BA−YE2001」猪木軍対K−1全面対抗戦が開催される。 2002年、 三笠書房から「もう一つの闘い〜血糖値596からの糖尿病克服記」を出版。糖尿病との闘病生活を告白。 飛鳥新社から「闘魂レシピ」を出版。シェフとしての一面を披露する。 さいたまスーパーアリーナで「INOKI−BOM−BA−YE2002」猪木軍対K−1対PRIDE全面対抗戦が開催される。「Dynamite!」では、上空3000メートルからのスカイダイビングに挑戦。91107人(主催者発表)の観衆が待つ国立霞ヶ丘陸上競技場への着地に成功した。 2003年、還暦を迎え、新日プロが東京湾上でサンセットクルーズ・パーティーを開催。週刊プレイボーイ誌で連載していた人生相談がまとまり「アントニオ猪木の人生相談 風車の如く」が敢行される。還暦記念のイベント「ULTIMATE FESTIVAL」が東京ドームで開催される。「アントニオ猪木という名のパチスロ」大会、スネ相撲大会などが行われる。 12.31 神戸ウイングスタジアムで「イノキボンバイエ2003〜馬鹿になれ、夢をもて」が開催される。藤波とスパーリングを披露する。 パラオの国賓であり、パラオで年々減少傾向にあるサンゴの養殖、イルカの水族館などパラオの自然保護をも事業として行っている。 日本に最初にタバスコを持ち込んだ |
アントニオ猪木リンク |
アントニオ猪木の試合がウェブで蘇る。
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アントニオ猪木名言 |
「この道を行けばどうなるものか、 危ぶむなかれ。 危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足が道となりその一足が道となる。 迷わず行けよ。行けばわかるさ」
「人は歩みを止め闘いを忘れたときに老いていく」
「元気が一番、元気があれば何でもできる」
「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ」
「どん底に耐えられれば、裸になることができる。 私は、新日本プロレスを旗上げした時、 一軒一軒キップを売って歩いた。 理想のプロレスをつくりあげるために、 なにふりかまわず頭を下げた。 十年近くたっても、私はそれをやった。 ちょうどブッチャーの移籍のころだった。 ここ一番で興業を成功させねばならない時に ストにぶつかり、大幅なキャンセルが出た。 私は自分に言いきかせた。 日ごろ、裸になれといっているが、 今、お前はできるか? 私はやった。」
「人生は挑戦の連続である。」
「馬鹿になれ とことん馬鹿になれ 恥をかけ とことん恥をかけ かいてかいて恥かいて 裸になったら見えてくる 本当の自分が見えてくる 本当の自分も笑ってた それくらい 馬鹿になれ」
あの人は字も読めないと言われたことに対して 「字くらい読めるわなあ。 知らねえ漢字はたくさんあるけどさ。」
イゴール・ボブチャンチンの強さの理由を考えた末に 「あいつが強いのは、 チェルノブイリの放射能を微量に浴び続けているからだ。」
「紅白が裏で、俺たちが表だよ」
「猪木が笑えば世界が笑う」
「今、俺は人生のホームレスをやっております」
昔、女性スキャンダルをフォーカスされたことに対して 「俺が今でも悔しいと思うのは、 そのときなぜピースサインができなかったのかだ」
今までで一番痛かった技は? という質問に対して 「フォーカスされたこと」
「時代に出会って、時代に恋して、時代を背負って歩きたい」
300万円を盗まれたあとで 「俺は金持ちじゃないけど、まぁ、盗った人がそれで少しでも 懐が暖かくあるなら、いいんじゃないですか。」
「怒って怒って怒ってみろよ。 怒りのタネが落ちてきて、 昔のそれが芽を吹いた」
「男は赤いちゃんちゃんこを着せられて照れている。 盛宴。良き友に囲まれて、杯をかざした祝い酒。 やがて男の顔は、杯を重ねていくうちに、 ちゃんちゃんこと同じ色に染まっていく。 真っ赤に燃える熱い心の奥底で、 今、新しい船出のドラの音を静かに聞く。」
猪木の永久機関装置が、会見で動かなかった理由。 「ボルトが一本足りなかった」
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アントニオ猪木 21世紀ヴァージョン 炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~ アントニオ猪木 このCDについて アントニオ猪木自身による朗読、コメント、「炎のファイター」のカラオケ、「炎のファイター」はサンバ・バージョンやブラス・バージョンなど、何と8バージョンも収録!もちろんラストは「行くぞー 1・2・3 ダァー」! |
このCDについて パチンコメーカー・平和のパチスロ機「アントニオ猪木という名のパチスロ機」と「アントニオ猪木自身がパチスロ機」の実機サウンドを収録したサウンドトラック。エンハンスド仕様で、ごく限られたプレイヤーにしか目にする事ができないプレミアム液晶演出映像 「道」演出のスペシャル・ムービーを収録。 |
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより) 燃える闘魂、アントニオ猪木のパフォーマンス「1、2、3ダァー!!」の数々を収めた異色作。名場面ベスト10「ダァー!!の伝説 COUNT DOWN-10」、「ダァー!!」の前に行われる猪木の説教をまとめた「ダァー!!の笑」、「ダァー!!50連発!!」の3部で構成する。 |
燃える闘魂タイピング 紹介(「丸紅インフォテック」データベースより) テーマ曲にのってアントニオ猪木がかつてのライバル達と戦うタイピングソフト。藤波、長州、マサ斎藤、坂口、アンドレ・ザ・ジャイアントらと単語入力や長文入力などで対決し、タイピングを習得していく。また対戦画面には、実際の試合ムービーを使用。自分だけでなく、相手も文字を入力しているかのごとく追いかけてくるダブルアンサーシステムを搭載し、先に入力を終えた方の闘魂ゲージが上がりどちらかの闘魂ゲージがFULLになると、猪木がワザをかけたり、ワザをかけられている実況つきのムービーが流れる。自分にあったキー入力設定をしなくてもよい、自動文字判別機能搭載。猪木のテーマ曲「炎のファイター(イノキ ボンバ・イエ)タイピング MIX」を収録。ローマ字入力版。 |
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●プロレスの楽しい見方 | プロレスとは、そしてプロレスを楽しく見るために心掛けておきたいこととは。プロレスに対する考え方は人それぞれ違います。全くプロレスを知らない人も、プロレスの面白さがわからない人も、一度プロレスを見に行ってみればプロレスの魅力にはまってしまうことは間違いなしです。 |
●プロレスリング・ノア | 三沢が2000年に旗揚げた団体。小橋建太、丸藤正道、KENTA、秋山準、鈴木鼓太郎ほか。 |
●新日本プロレス |
1972年にアントニオ猪木が旗揚げ。ストロングスタイルを掲げ、プロレス最強を唱える。蝶野正洋、天山広吉、棚橋弘至、中邑真輔、永田裕志、獣神サンダー・ライガーほか。 |
●全日本プロレス | 2002年、武藤敬司らが新日本プロレスから移籍、社長に就任。 川田利明、小島 聡、太陽ケア、 カズ・ハヤシ、渕 正信、馳 浩、石狩太一、 諏訪間幸平、R・O・Dほか。 |
●ZERO-ONE、ハッスル、WWE | ZERO-ONE、ハッスル、WWEのプロレス団体と選手の解説とリンク。 |
みちのくプロレス、DRAGON GATE、KAIENTAI-DOJO、大坂プロレスなどの団体の解説とリンク。 | |
●フリー選手 | 天龍源一郎、佐々木健介、高山善廣、鈴木みのる、長州力ほか。 |
●プロレス歴代MVP |
東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞MVP選手を見ればプロレスの歴史がわかる。現役ベルト保持者表もあり。 |
●K-1、PRIDE | K-1、PRIDEへのリンク。 |
●総合格闘技団体 | パンクラス、サンボ、修斗の団体へのリンク。 |
●柔道、空手など | 講道館や吉田秀彦選手のリンク。 |
●goods &格闘技関連サイト | プロレスや格闘技団体のTシャツやグッズの店のリンク。 |
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