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団体 | 解説 |
NOAH創設ベルト 「GHC(Global Honored Crown)」
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全日本時代にジャイアント馬場が1999年に病に倒れ三沢光晴が社長に就く。 それから約一年半後、三沢は全日の社長を辞任し同社を退団。それに呼応し川田利明、渕正信以外の 全選手が三沢と共に退団。そして三沢を社長として2000年に新団体プロレスリングノアをディファ有明で旗揚げた。三沢光晴選手ら多数の人気プロレス選手が所属する、名実ともに日本プロレス界を代表する存在となった人気団体。 2004年7月10日には、初の東京ドーム興行を行った。 三沢光晴、小橋建太、丸藤正道、KENTA、秋山準、金丸義信、百田光雄、永源遥、田上 明、小川 良成、力皇 猛、森嶋 猛、本田 多聞、井上 雅央、佐野 巧真、池田 大輔、モハメド・ヨネ、鈴木鼓太郎、斎藤 彰俊、泉田 純、スコーピオほか |
選手 | 解説 |
「ノアの盟主」 「黄金の右肘」 本名:三澤光晴 得意技:
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イメージカラーは緑。 入場テーマ曲: スパルタンX 1962年6月18日生まれ 埼玉県越谷市出身 185cm 110kg 血液型O型 ノアのプロレスラー兼代表取締役社長。 中学時代は体操部に所属。足利工業大学付属高等学校時代は、アマレスで国体に出場、フリー87キロ級で優勝。レスリング部の後輩に川田がいた。高校卒業後は自衛隊のスカウトを蹴りプロレス入り。81年、デビュー。84年に越中と共にメキシコ遠征。帰国後2代目タイガーマスクとしてデビュー。 同団体内の全てのベルトを奪取。 85年、NWAインタージュニア王座を獲得。87年、鶴田とPWFタッグ王座を獲得。89年に左ひざを手術し長期欠場。90年に復帰。天龍離脱後、試合中にマスクを脱ぐ。川田、小橋、田上と共に「四天王」と言われた。98年から現場監督とマッチメーカーに就任。00年に自らの理想に賛同した全日本プロレスの所属レスラーと共に大量退団、プロレスリング・ノアを設立した。 01年、GHC初代王者決定トーナメントで勝利。第二代GHCタッグ王座を獲得。02年、新日本プロレスの蝶野正洋と対戦も時間切れ引き分け。03年、武道館で小橋と対戦。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞。好きな動物はマントヒヒ。 |
「絶対王者」と呼ばれる。 得意技:
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本名:小橋健太 ノア旗揚げの際「新しいプロレス王国を打ち建てる」という意味で、本名の健太から建太に改名。 1967年3月27日生まれ 京都府福知山市出身 ノア所属のプロレスラー兼取締役。 高校卒業後、全日本プロレスに入門を希望するも、不合格。一時はサラリーマン生活を送るが、プロレスラーになる夢を捨てきれず、全日本プロレスに入門。2000年、全日本プロレスを脱退。理想のプロレスを目指すべく、プロレスリング・ノアの旗揚げに参加する。旗揚げ直後の2001年、膝の怪我が悪化し、長期離脱。5度の手術を乗り越え、1年後の2002年2月に日本武道館で復帰するも、その復帰戦で靭帯を断裂し再欠場。5ヶ月後の7月に真の復帰を果たす。 2003年、三沢の持つGHCヘビー級王座に挑戦し、33分28秒の死闘の末、ベルトを奪取。その後、蝶野正洋、永田裕志、高山善廣、秋山、田上などトップレスラーと防衛戦を行い、防衛を重ねてきている。 プロレス大賞のベストバウト、MVPなどを何度も受賞し、名実共にプロレス界のトップに立つ。05年3月5日、力皇猛の無双連発によりGHCヘビー級王座から陥落。03年3月1日、三沢からタイトルを奪取して以来735日間、守り続けてきた王座を明け渡し、防衛記録も13でストップした。尊敬するレスラーはジャイアント馬場、ルー・テーズ。嫌いな動物は橋ゴリラ。 |
「スターネス」 秋山準 本名:秋山潤 188cm 108〜110kg 血液型AB型 得意技:
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和泉中学時代は水泳部。大阪府立高石高等学校時代、アマチュア・レスリングのフリー・スタイル81キロ級でインターハイ、国体に出場。専修大学進学後は1年生の時に88年全日本学生選手権フリー81kg級で準優勝し、4年生時にはレスリング部主将も務める。 92年大学卒業後、全日本プロレスに入門。小橋健太戦でデビュー。デビュー時から「超新星」の異名で活躍した。 鶴田の代役ながらもデビュー間もなく最強タッグに出場。92年度のプロレス大賞新人賞を受賞。93年1月に「秋山準7番勝負」が行われ2勝5敗。94年のあすなろ杯では全勝優勝。3月のチャンピオンカーニバルでは4勝6敗1分け。95年1月、大森隆男と組み第63代アジア・タッグ王座に君臨。96年5月には三沢光晴と組み、第29代世界タッグ王座に就く。小橋とのコンビでは世界タッグ王座に2度君臨し、98年、99年と世界最強タッグ決定リーグ戦2連覇を達成。00年7月、プロレスリング・ノアの設立に参加。2006/1/22、田上明vs秋山準のGHCヘビー級選手権試合の結果、秋山準が第9代王者となる。 秋山準「必見!秋山社長の徒然日記 」 秋山準の会社アキヤマインターナショナルコミュニケーション ペット好きでも有名で、猫5匹と犬1匹を飼っている。愛犬の名前はケビン。 |
1961年5月8日生まれ 埼玉県秩父市出身 192cm 120kg A型 得意技:
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秩父農工時代は相撲部で活躍。2年の時にインターハイ個人戦3位となる。80年、大相撲の押尾川部屋にスカウトされ、高校3年で中退。玉麒麟の四股名で十両6枚目まで昇進。87年に親方とケンカ別れ。通算成績は199勝149敗7休。相撲部屋によく来ていた三遊亭楽太郎の紹介でプロレスに転向。楽太郎は馬場の友人。88年デビュー。90年に仲野と組みアジアタッグ王座。92年、ジャンボ鶴田と世界タッグ王座。96年にチャンピオンカーニバル優勝。3冠王座獲得。タッグでは川田と組んで96年、97年の世界最強タッグ決定リーグ優勝。00年、ノアの旗揚げに参加。01年、「俺が田上」を公開。欲しいものは村正。2004年の反省点は5キロくらいのヒラメを逃がしたこと。2005.11.5 東京・日本武道館において、俺が田上→体固め、20分43秒で力皇猛からGHCヘビー級ベルトを奪い、第8代王者となる。 |
「空飛ぶ天才児」 丸藤正道 身長176cm 体重88kg 0型 得意技:
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埼玉栄高時代はアマチュアレスリングで活躍。卒業後、全日本プロレスに入門。1998年デビュー。ジュニア・ヘビー級として、トップロープやコーナーポストなどリング全体を活かした華麗な技を得意としている。 2000年、新設されたばかりのプロレスリング・ノアに移籍。当初は師匠・三沢光晴がリーダーを務めるユニット「WAVE」の一員として戦っていたが、2003年に脱退。下克上を旗印に、同じく若手のWILD II(森嶋猛&力皇猛)やKENTAと共闘を始める。同年7月には、KENTAとのタッグで初代GHCジュニア・ヘビー級タッグ王座決定トーナメントに参加し、見事優勝を果たす。以降、2004年12月18日まで計9度の防衛戦を行ってきたが、いずれも勝利している。 2004年10月16日には、秋山準が創設したGHC(グローバル・ハードコア・クラウン)のタイトルにも挑戦。王者・秋山とは体格差のハンデがあったものの、リングアウト勝ちを収め、第2代王者に輝いた。白GHCことグローバルハードコアクラウン無差別級王座戦は、王座初挑戦となるモハメド ・ヨネが王者・丸藤正道をキン肉バスターで破り初戴冠。 |
KENTA 本名:小林健太 身長173cm 体重83kg 得意技:
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1981年3月12日 埼玉県草加市出身 1999年に全日本プロレスで初めて行われた一般公募オーディションにおける7名の合格者の中で、厳しいトレーニングにも負けることなく唯一プロレスラーとしてデビューした。NOAHに移籍後、リングネームを本名からKENTAに変えた。また、当初は飛び技中心のスタイルだったが、キックボクシングのトレーニングの成果が身に付くようになった頃から蹴り技中心のファイトスタイルに変わっていった。蹴撃7番勝負の結果は1勝6敗。 尊敬するレスラーは奥山季里。 2005年7月18日、東京ドーム大会において金丸義信を20分31秒、飛びヒザ蹴り→エビ固めで破り、第10代GHCジュニアヘビー級選手権者となる。 |
金丸義信 173cm 85kg 得意技:
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1976年9月23日生まれ 山梨県甲府市出身 山梨学院大学附属高校時代には野球部に所属し、投手として甲子園まで行っている。ジャンボ鶴田後援会関係者の口添えで馬場と面談し、卒業と同時に全日本プロレスへ入門。しかし思うように体重が増えず、一時はレフリーとしてのデビューまで検討されたが本人の意思は堅く、 努力を重ねることで約1年半もの練習生期間にピリオドを打ってレスラーデビュー。96年デビュー。98年度のプロレス大賞新人賞を受賞。2001年初代GHCジュニアヘビー級王座決定トーナメントで優勝。 2002年第5代ジュニアヘビー級王者決定トーナメントで優勝。2004年第9代王者となる。 |
モハメド ・ヨネ 1976年2月23日生まれ 愛知県名古屋市 185cm 100kg 血液型 B型 得意技:
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中学、高校時代はバレーボール部に所属。卒業後に藤原組に入門。その後、池田らと共にバトラーツ結成に動くと、同期のアレクサンダー大塚らと凌ぎを削りながら着実に力をつけていった。 昨バトラーツ解散宣言に伴い、ノアに参戦。05年3月5日、白いGHCグローバルハードコアクラウン無差別級王座初挑戦で王者・丸藤正道をキン肉バスターで破り初戴冠。レスラー人生10年目にして初の栄冠となる。2005.10.28 大阪・大阪府立体育会館 において森嶋猛とのタッグで第11代GHCタッグ王者となる。 |
「千両役者」 永源遙 1946年1月11日生まれ 石川県鹿島郡出身 178cm 110kg A型 得意技:
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1966年、大相撲の立浪部屋から東京プロレスへ入門。 67年、崩壊により日本プロレスに移籍。坂口の付き人となる。73年にはアメリカ武者修業に旅立つ。 アメリカ修行時代はグレート・トーゴーを名乗り、安達(ミスター・ヒト遠征当時はトーキョー・ジョー)とのコンビでセントラルステーツタッグ王座を獲得。同年秋の帰国と共に新日本プロレスに移籍。80年、ストロング小林と組んでマイティ井上、寺西勇組を破り、IWA世界タッグ王座を獲得。同年結婚。仲人は後に首相となった森喜朗だった。84年にはジャパンプロレス、86年に全日本プロレス、そして00年のノア旗揚げへ参加。試合中、相手に胸を叩かれた拍子に飛び出すツバ直撃弾を得意とする。客は新聞紙を広げてよける。業界一の人脈を誇り、プロモーターとして才能を発揮。 |
小川良成 1966年11月2日生まれ 茨城県取手市出身 180cm 90kg B型 得意技:
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学生時代は野球。83年に高校を中退しプロレス入り。入門テストの試験官は佐藤昭雄。規定ギリギリの180センチだったが、かろうじて合格。85年、デビュー。87年に天龍の付き人だったことから天龍同盟入り。95年、世界ジュニアヘビー級王座を獲得。勝利コメントでは「身体もなく、何の経歴もなく、素質のない人間がよくここまでなれたと思う」と述べた。馬場も「努力した者は報われるということだな」と試合後に称えた。98年、世界ジュニアヘビー級王座決定リーグ戦で優勝。長期欠場から復帰した三沢のタッグパートナーに。99年には三沢と組んで大森、高山組を破り世界タッグ王座を獲得。00年にノアの旗揚げに参加。02年、GHCヘビー級王座を獲得。同王座は田上明、力皇猛相手に防衛を重ね、高山に敗れて王座を奪われた。 |
力皇猛 本名 井上猛 191cm 130kg 血液型B型 得意技:
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1972年12月20日 奈良県桜井市出身 力櫻の四股名で大相撲の鳴門部屋に入門。魁皇、武双山と同期。鳴戸部屋の第1号幕内力士。97年秋場所では西前頭四枚目に昇進。その後、肝機能障害で休場、98年に廃業。幕内通算成績は54勝51敗。99年に全日本プロレスに入門。00年デビュー。デビュー戦には魁皇、武双山など、相撲時代の仲間が応援。ノアの旗揚げに参加。00年度のプロレス大賞新人賞を受賞。01年に森嶋と「ワイルド2」を結成。02年に森嶋と組んでGHCタッグ王座。05年3月5日、無双連発で小橋建太を破りGHC王座初戴冠。03年3月1日、三沢からタイトルを奪取して以来735日間、小橋は守り続けてきた王座を明け渡し、防衛記録も13でストップした。斎藤彰俊、棚橋弘至、三沢光晴を退けるも2005.11.5 東京・日本武道館において田上明に「俺が田上」でベルトを奪われる。2005年、東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞において殊勲賞受賞。 |
「五輪の星」 本田多聞 1963年8月15日 神奈川県横須賀市出身 188cm 127kg 血液型B型 得意技:
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父、大三郎はカヌーの東京オリンピック代表で、横須賀市で「ホンダカヌースクール」を経営。小学校4年の頃アマチュア・レスリングを始める。中学3年時にジュニア世界選手権で銀メダルを獲得。高校では、史上初めて1年生で国体を制した。ロス、ソウル、バルセロナと3大会連続でオリンピックに出場。全日本選手権8度優勝、83年のアジア選手権優勝。日大から自衛隊に所属。後輩である杉浦の話によると、自衛隊時代は「兵隊ヤクザ」と呼ばれるほど。93年、31歳で全日本プロレスに入門。96年のあすなろ杯で優勝。デビュー当初は原人キャラ。98年、アジアタッグ王座を獲得。99年、アジアタッグ王座獲得。00年にノアへ。WEWタッグ王座。関節技「回転地獄五輪」を何種類も開発。ラモーンズのファン。自らのバンド「タモーンズ」でジョーイ・タモーンを名のりボーカルを担当。釣りも趣味。夫人はピアノの先生。 |
「力道山ジュニア」 百田光雄 173cm 100kg 血液型A型 得意技:
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1948年9月21日 東京都港区出身 力道山の次男に生まれる。森村学園卒業後、68年に日本プロレス入門。70年デビュー。72年に全日本プロレスの旗揚げに参加。74年2月にはメキシコに初遠征し、帰国後、日本で初めてのトペ・スイシーダを公開。ジュニアへビー級戦線で活躍。全日本プロレスでは前座で若手の壁として活躍することで「6時半の男」と呼ばれる。89年、世界ジュニアへビー級王座。00年の30周年記念試合では「6時半の男」として復活。ノアに入団後は主に第一試合で木村、永源らと出場。 |
鈴木鼓太郎 「疾風戦士」 本名:鈴木康弘 1978年6月18日生まれ 埼玉県蕨市出身 173cm 83kg 0型 |
メキシコにてタイガーエンペラーに変身。得意技がガンダムに関係している。尊敬するレスラーは三沢光晴、レイ・ミステリオJr.。愛読書はガンダムエース。カラオケ18番は哀戦士。趣味はゲーム、プラモデル、フィギュア。 得意技:
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●プロレスの楽しい見方 | プロレスとは、そしてプロレスを楽しく見るために心掛けておきたいこととは。プロレスに対する考え方は人それぞれ違います。全くプロレスを知らない人も、プロレスの面白さがわからない人も、一度プロレスを見に行ってみればプロレスの魅力にはまってしまうことは間違いなしです。 |
●新日本プロレス |
1972年にアントニオ猪木が旗揚げ。ストロングスタイルを掲げ、プロレス最強を唱える。蝶野正洋、天山広吉、棚橋弘至、中邑真輔、永田裕志、獣神サンダー・ライガーほか。 |
●全日本プロレス | 2002年、武藤敬司らが新日本プロレスから移籍、社長に就任。 川田利明、小島 聡、太陽ケア、 カズ・ハヤシ、渕 正信、馳 浩、石狩太一、 諏訪間幸平、R・O・Dほか。 |
●ZERO-ONE、ハッスル、WWE | ZERO-ONE、ハッスル、WWEのプロレス団体と選手の解説とリンク。 |
みちのくプロレス、DRAGON GATE、KAIENTAI-DOJO、大坂プロレスなどの団体の解説とリンク。 | |
●フリー選手 | 天龍源一郎、佐々木健介、高山善廣、鈴木みのる、長州力ほか。 |
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東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞MVP選手を見ればプロレスの歴史がわかる。現役ベルト保持者表もあり。 |
●K-1、PRIDE | K-1、PRIDEへのリンク。 |
●総合格闘技団体 | パンクラス、サンボ、修斗の団体へのリンク。 |
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