団体 | 解説 |
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1993年、日本にルチャリブレを根付かせる為に、東北を拠点としザ・グレートサスケが旗揚げ。 「地域密着型プロレス団体」を標榜し、盛岡市を拠点とし、主に東北六県で活動している。 サスケが岩手県議会議員として活動しているため現在では新崎人生が社長を務め、サスケは会長に退いた。 2004年に闘龍門Xの選手が合流。 |
「東北の英雄」 1969年7月18日生まれ 本名:村川政徳 岩手県議会議員 得意技:
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新日本プロレス学校で修業した後、MASAみちのくというリングネームで、1990年、モンキーマジック・ワキタ(現スペル・デルフィン)戦でデビュー。当時は覆面をつけないレスラーであったが、その後メキシコに遠征、1992年、覆面レスラーとなる。 1993年、東北地方に密着した興行を行う地域密着型プロレス、みちのくプロレスを旗揚げする。みちのくプロレス株式会社代表取締役社長を2003年まで務めた。現在は同社の取締役会長。本人の発言によれば、経営者としての職務中も、入浴など私生活においても、一切覆面は外していない。これまでに1万枚以上を消費したらしい。 2003年に岩手県議会議員選挙に出馬、ザ・グレート・サスケの登録名、かつ覆面姿で選挙活動を行い、トップ当選した。本人は覆面をつけたまま議会に出席することを公約した上での当選であったが、増田岩手県知事が覆面を外すべきとの発言をしたため、ニューヨークタイムズが写真付きで報じるなど、大きな話題となった。増田知事は覆面を容認しない理由として「顔が隠れるため表情を有権者が読みとれず、政治家としての活動について評価することができない」点を挙げたため、サスケはそれまで着用していたマスクに比べ大幅に顔の露出部分を増やした特注品を作成し、対応した。報道が過熱する一方で増田知事はこの対応を受け入れ、覆面での登院を容認した。 しかし岩手県議会では一部党派が覆面着用は「議会の品位を損なう」ものだとして問題視し、「議場での覆面着用禁止の会議規則改正案」を提出した。2ヶ月に渡って状況は混乱したが、本会議で同法案は記名投票(可否同数)のうえ同議会55年ぶりの議長採決で否決、覆面着用が容認されることになった。 尊敬するレスラーはアントニオ猪木。 |
「南無大師遍照金剛」 得意技:
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新崎 人生公式ホームページ 本名:新崎健介 1966年12月2日生まれ 徳島県徳島市出身 高校でレスリング部に在籍。後輩にアレクサンダー大塚がいる。1993年、獅龍(カズ・ハヤシ)戦でデビュー。所属団体は、みちのくプロレス(1993年〜1994年)−WWF(1995年〜1996年)みちのくプロレス(1996年〜)。獲得王座にアジア・タッグ王座。アメリカのプロレス団体WWF(現WWE)に参戦。全身に経文を書き込んだ「耳無し法一」のようないでたちのレスラー「白使」として人気を得た。 ドラゴンゲート(旧:闘龍門)所属選手のドラゴン・キッドとは親戚である。 プロレス入りする前は役者を志しており、菅原文太の付き人だったこともある。 尊敬するレスラーはジャイアント馬場。 |
団体 | 解説 |
DRAGON GATE |
DRAGON GATEは、1997年にウルティモ・ドラゴンが開校した闘龍門を前身としたプロレス団体。 闘龍門JAPAN 1999年に興行部門として闘龍門JAPANが武輝道場を吸収合併する形でスタート。代表は岡村隆志。2004年、総勢30名前後まで選手数が増加したが、創立5周年記念大会を最後にDRAGON GATEと改称し、闘龍門から独立した。 マグナムTOKYO、ドラゴン・キッド、堀口元気、斎藤了、谷嵜なおき、望月成晃、新井健一郎、横須賀享、K-ness、ドン・フジイ、CIMA、土井成樹、鷹木信悟、ミラノコレクションA.T.、YOSSINO、アンソニー・W・森、マイケル岩佐、ダニエル三島、ジョンソン・フロリダ(ベーカリー八木)ほか |
選手 | 解説 |
本名:浅井嘉浩 1966年12月12日生まれ 愛知県名古屋市出身 得意技:
新日本プロレスの入門テストを受け、体が小さいのを理由に不合格となるも、練習生として道場に通い続ける。1987年にメキシコに渡り、デビュー。1990年、ユニバーサル・プロレスリング旗揚げに参加し、エースとして団体を引っ張る。1991年にEMLLに進出し、ウルティモ・ドラゴンに変身した。ユニパーサル崩壊後はWARに入団し、ジュニアヘビー級のエースとして活躍。その後はWCWに進出する。WCWでの試合にて左肘を怪我、その左肘の手術に失敗し神経の一部を切り、選手生活を断念した。 |
1997年、メキシコにマット界初の日本人ルチャドール(メキシカンスタイルのプロレスラー)養成学校の闘龍門開校。半年に一度生徒を募集し、一定期間のトレーニングの後、メキシコのプロテストに合格したものから、メキシコ自主興行でプロデビューさせていた。 1998年に1期生のクレイジーMAX(現CIMA、SUWA、ドン・フジイ)をみちのくプロレスで日本デビューさせ、本格逆上陸の足がかりとした。 1999年、神戸に「ウルティモ・ドラゴン・ジム闘龍門日本校」を設立。武輝道場の岡村隆志、望月成晃、TARUらと合流し、興行会社『闘龍門JAPAN』を神戸に設立、卒業生の受け皿とした。 2000年には、闘龍門2000プロジェクトT2Pを始動させ、メキシコ式の複合関節技『ジャベ』をメインとした、ミル・マスカラス登場以前の古典メキシカン・プロレス『ルチャ・リブレ・クラシカ』の復興をコンセプトに5期生〜8期生を養成した。T2Pの逆上陸興行では、特徴的な6角形のリングを採用し、従来のプロレスとの差別化をアピールした。スタイルの違いから闘龍門JAPANとの抗争となり、最終的には敗北してT2Pは解散、主力選手は『JAPAN』に合流し、未熟な選手は後述の『X』に吸収された。 2002年からは、闘龍門Xをスタートさせ、WWE、新日本プロレスに参戦した。た。所属選手の石森太二は、2003年、WRESTLE-1に出場した。 2004年、石森は校長ウルティモ・ドラゴンに帯同して新日本プロレスに出場。 2004年9月の自主興行を持って、闘龍門Xは解散した。 |
マグナムTOKYO 本名:黒木克昌 197.3年1月9日生まれ 東京都出身 AB型 180cm 90kg 得意技:
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1997、メキシコにて、CIMA相手にデビュー、同地にて、リングネームを「マグナムTOKYO」に改名、第一回ヤングドラゴン杯にて、優勝。1998、アメリカWCW「マンデー・ナイトロ」にCIMAと組んで出場。1999、第一期生、闘龍門を卒業。みちのくプロレス東京大会にて初参戦。リッキーフジ(FMW)とタッグを組む。みちのくプロレスにて、サスケと初タッグ。WAR参戦。天龍源一郎と大仁田厚と初タッグを組む。IWAジャパンに参戦。佐藤竜騎士とタッグを組む 。TARUと入場時の踊り禁止とC-MAX脱退をかけて試合、勝利。望月成晃と共闘開始。みちのくプロレスにて、新崎人生と初タッグ。みちのくプロレス「みちのくふたり旅99'」にタイガーと組んで出場、準優勝。アルシオンに大向美智子とタッグを組み、初参戦。2000、チョコ戦にて右肩を負傷。Super J-CUPの出場断念。SAITO相手に復帰。2001、闘龍門最強決定リーグ戦「ELNUMERO UNO」にて、準優勝。望月成晃に勝ち、英連邦Jr.ヘビー級王座を獲得。望月成晃から、英連邦のベルトを防衛 。リッキーマルビンから、英連邦のベルトを防衛。Pro Wrestling Illustrated Top 500 2001にて世界ランキング44位。2002、望月享から、英連邦のベルトを防衛。英連邦Jr.ヘビー級王座、SUWAに防衛失敗。2002、「ELNUMERO UNO」優勝。M2Kリーダー就任。M2Kから神田裕之・ダークネスドラゴン脱退。改名したK-nessと共に新ユニットDo-FIXER結成。 |
CIMA 本名:大島伸彦 1977年11月15日生まれ 大阪府堺市出身 O型 173cm 80kg 得意技:
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97年、黒木克昌(マグナム)を相手にデビュー。デビュー直後のリング ネームは「シーマ・ノブナガ」。デビュー当初はテクニコとして活躍していたが、後にルードに転向。そこでSUWA、フジと共にメキシコ州6人 タッグを獲得。その後3人でみちのくプロレスに逆上陸。 ここで「クレイジーマックス」を結成。一時SASUKEと手を組む。 闘龍門として日本上陸を果たしてからは、クレイジーマックスのリーダーと して団体を引っ張る。2001年にはスーパーJカップにて準優勝の成績を 残す。 クレイジーマックスのメンバーと共にUWA世界6人タッグを 奪取。しかしこの頃から膝の負傷が悪化。膝の手術を行うため欠場。ディファで復活宣言、後楽園でチョコフレークK-ICHIを相手 に復帰。尊敬するレスラーはハルク・ホーガン。 |
ドラゴン・キッド 1976年2月2日生まれ 愛知県出身 A型 161.8cm 70kg 得意技:
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プロレスラーになりたいという夢を持ちながら 、身体が小さいとの理由でレフェリーへ。 大仁田のFMWで伊藤豪レフェリーに指導を受けるも、ダミアンを頼りメキシコ修行へ。 ウルティモ・ドラゴン(闘龍門校長)と出会い、修行途中の平成9年6月に闘龍門入り。1997年、ドラゴン・キッドとしてデビュー。 黒木・大島・諏訪・藤井等とともに第一期生として日本へ。SUWA選手との抗争中怪我による休場もメキシコにてツアー中に復帰。 2000年に復帰するが再び怪我。『マスカラ・コントラ・カベジェラ』戦に勝利したものの、直後リング上で謎のマスクマン 『ダークネス・ドラゴン』に襲撃される。2002年、『マスカラ・コントラ・マスカラ』戦においてダークネス・ドラゴンをくだし、マスクを死守。尊敬するレスラーはハヤブサ。 |
ストーカー市川 本名:市川寛ニ 1974年10月12日生まれ 岐阜県出身 A型 得意技:
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1998、メキシコ・アレナ・ナウカルバンにて、デビュー。1999、後楽園大会にて、多留に破れる。川崎大会にて、つぼ原人と初対戦。2000、闘龍門、卒業。川崎大会にて、タイガー・ジェット・市川として登場。神戸ワールド大会にて、本命アジャ・コングと対決。C−MAXとして行動を始める。ディファ大会にて、「暴走十番勝負」第三戦として、TARU扮する「タルティモ・ ドラゴン」と対戦。後楽園大会にて、TARUと組みメインでM2Kと対戦。初勝利。2001、全日本に初参戦 。C−MAXから追放される。後楽園大会にて、「暴走十番勝負」第六戦として、ザ・グレート・カブキと対戦 。2002、後楽園大会にて、「暴走十番勝負」第七戦として、松永光弘と対戦。 |
団体 | 解説 |
KAIENTAI-DOJO |
2002年に元みちのくプロレスのTAKAみちのくがWWF(現:WWE)から凱旋帰国したのを期に千葉県に発足したプロレス団体である。 本名で出場している選手でも、本名公開を禁止しているのが特徴。 TAKAみちのく、Hi69、筑前りょう太、DJニラ、アップルみゆきほか |
選手 | 解説 |
本名:吉田貴男 得意技:
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1973年10月26日生まれ 岩手県盛岡市出身 ルチャリブレの団体、ユニバーサルプロレスに入門。92年デビュー。93年、みちのくプロレス旗揚げに参加し、三度笠の旅烏スタイルで闘う。94年、新日本プロレスに参加。バトラーツの船木勝一と「夢狩人」を結成。97年、WWFに進出ブライアン・クリストファーを破り、新設のWWF世界ライトヘビー級王座を獲得する。98年レッスルマニアに出場、海援隊と抗争。ディック東郷らの海援隊と合体。10月に早くも解散。その後、ショー船木とコンビを組む。02年、日本に戻りKAIENTAI-DOJOを旗揚げる。現在は全日本プロレスにR・O・Dとして参加している。2005年東京スポーツ新聞社制定 プロレス大賞で技能賞受賞。 尊敬するレスラーはビンス・マクマホン。 たか'S F'N 本人が運営する公式サイト |
団体 | 解説 |
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1999年、みちのくプロレスを脱退したスペル・デルフィンが、自らの出身地である大阪に設立したプロレス団体。 えべっさんやくいしんぼう仮面など、地元大阪色豊かな覆面レスラーが多数登場する。 2003年からは、吉本興業とマネジメント契約を結んでいる。 スペル・デルフィン 、くいしんぼう仮面、ぺロ&ペッキー、スーパー・ドルフィン 、 村浜武洋、Gamma(ビューティフル・ジョー)、えべっさん、タイガースマスク、ビリーケンキッド、ツバサ、ミラクルマン(兜王”ビートル”、 的場真人ほか |
選手 | 解説 |
スペル・デルフィン 本名:脇田洋人 旧名:モンキーマジックワキタ 1967年9月22日生まれ 大阪府輪和泉市出身 得意技:
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学生時代にレスリングでインター杯出場、サンボも学ぶ。
1987年、TPG(たけしプロレス軍団)の入門テストに合格。
1989年、オランダ・アムステルダムでデビュー。
FMWを経てユニバーサル・レスリング連盟に入団。
1991年、覆面のスペル・デルフィンに変身。
メキシコ修行を積み、1993年、みちのくプロレスに加わり、東北のファンから実力を認められた。
1996年、新日本プロレス『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』に準優勝を飾り、全国的な人気を獲得した。
1999年、地元・大阪で地域密着型団体の大坂プロレスを旗揚げ、自ら社長を務め現在でもお笑いと激しさを織り交ぜた戦いを浪速のファンに提供している。
所属選手のえべっさんの紹介で、現在はタレントの早坂好恵と結婚。
自分のマスクを開運!なんでも鑑定団にだしたりした。
blogデルフィン 社長の秘密基地 スペル・デルフィンの日記が書いてある。 |
1974年12月5日 石川県石川郡野々市出身 163cm 70kg 得意技:
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93年、シュートボクシングでデビュー。JSBAカーディナル級王座、KICK世界スーパー・フェザー級王座を獲得し、97年11月にはK1ジャパン・フェザー級グランプリで優賞に輝く。99年7月にシュート・ボクシング協会を退団し、00年1月よりフリーとして大阪プロレスに登場。1月4日、大阪の、なみはやドームにおける星川尚浩戦でプロレスデビュー。5月には第2代大阪プロレス王者となる。6月、大阪プロレスに入団し、プロレスラーに転向。12月14日、大阪の新日マット初参戦ではライガーに真っ向勝負を挑んだ。1月8日、「DEEP2001」でバーリトゥードに挑戦し、ホイラー・グレイシーと引き分けた。01年のプロレス大賞新人賞を受賞。 K-1にも参戦、好勝負を見せる。尊敬するレスラーは藤波辰己。愛読書は堺屋太一。 |
団体 | 解説 |
DDT |
高木三四郎 、一宮章一、 MIKAMI 、HERO!、 KUDO、 健心 、男色ディーノ 、マッスル坂井、 ヨシヒコ 、泉州力(J2K)、 諸橋晴也 、タノムサク、鳥羽 、三和太 、柿本大地 、マサ高梨、- チェリー、 飯伏幸太 、ポイズン澤田、JULIE 、蛇イアント 、猪熊戦闘員 、ディック東郷(FEC)、 橋本友彦(FEC)、 守部宣孝(FEC)、 ソニーホンダ(FEC) 、ゴージャス松野、新藤力也 、浅野グレース恵 、三和会長、 三浦なつる、 |
高木三四郎 1975年1月13日 出身地 自由が丘、名古屋 血液型 スーパーA型 180(5cm鯖読み)cm 100(5kg鯖読み)kg |
本名はクワトロ・バジーナ。趣味・愛読書は三国志。好きなテレビ番組はガンダムSEED。尊敬するレスラーはストーンコールド、スティーブ・オースチン。 高木三四郎ブログ「俺様モノ」 三四郎商店 高木三四郎選手の公認サイト。 |
MIKAMI 得意技
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1973年12月28日ただし27歳 出身地 島根県浜田市 血液型 O型 身長 163.1cm 体重 72kg ブログ式スク〜ルボ〜イ MIKAMI選手のブログ。 SCHOOL-BOY.COM MIKAMI選手の公認サイト。 |
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●プロレスの楽しい見方 | プロレスとは、そしてプロレスを楽しく見るために心掛けておきたいこととは。プロレスに対する考え方は人それぞれ違います。全くプロレスを知らない人も、プロレスの面白さがわからない人も、一度プロレスを見に行ってみればプロレスの魅力にはまってしまうことは間違いなしです。 |
●プロレスリング・ノア | 三沢が2000年に旗揚げた団体。小橋建太、丸藤正道、KENTA、秋山準、鈴木鼓太郎ほか。 |
●新日本プロレス |
1972年にアントニオ猪木が旗揚げ。ストロングスタイルを掲げ、プロレス最強を唱える。蝶野正洋、天山広吉、棚橋弘至、中邑真輔、永田裕志、獣神サンダー・ライガーほか。 |
●全日本プロレス | 2002年、武藤敬司らが新日本プロレスから移籍、社長に就任。 川田利明、小島 聡、太陽ケア、 カズ・ハヤシ、渕 正信、馳 浩、石狩太一、 諏訪間幸平、R・O・Dほか。 |
●ZERO-ONE、ハッスル、WWE | ZERO-ONE、ハッスル、WWEのプロレス団体と選手の解説とリンク。 |
●フリー選手 | 天龍源一郎、佐々木健介、高山善廣、鈴木みのる、長州力ほか。 |
●プロレス歴代MVP |
東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞MVP選手を見ればプロレスの歴史がわかる。現役ベルト保持者表もあり。 |
●K-1、PRIDE | K-1、PRIDEへのリンク。 |
●総合格闘技団体 | パンクラス、サンボ、修斗の団体へのリンク。 |
●柔道、空手など | 講道館や吉田秀彦選手のリンク。 |
●goods &格闘技関連サイト | プロレスや格闘技団体のTシャツやグッズの店のリンク。 |
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