(2)豊島園から金乗寺を経て東上線上板橋駅まで
今回と次回は、仮称阿佐ヶ谷道の続きを行くことになりますが、阿佐ヶ谷道というには若干相応しくないかもしれません。といって旧称で今は使われなくなった「下練馬道」というのも気が乗らない。というわけで当面阿佐ヶ谷道ということにします。
さて前回の終点、豊島園が今回の出発点です。西武線豊島園駅を降りるとすぐ目の前が豊島園遊園地の正門です。その間を横切る細道が前回通り、今回行く当該の古道です。この細道は左手は豊島園のフェンス、右手はビル際に沿って、やや屈折しながら坂を下っていきます。下るとバス通りで信号で向こう側に渡り橋を渡る。この橋は一之橋といい石神井川を越える。渡った所に小さな広場があり、そこに石神井川の改修工事に当たって
架け替えられた古い橋の標柱が立っています。そこはまた二股になっており、右へ斜めに行く道が分かれています。これが古道の続きです。この道はほぼ真っ直ぐで緩やかな上り坂になっています。しばらく行くと信号のある四つ角があり、その右手に森が見えますが、嘗ての豪農の屋敷林です。この辺りは十数年前までは緑の森があり野と畑が広がるのどかな所でした。今は住宅、アパート、商店などが建ち並び、のどかというには遠いのですが、それでもその名残は緑の森、屋敷林、畑地として幾つか残っています。
2番目の信号のある角は本寿院入り口という変則四つ角で、当面は直進しますが、左へ曲がっていく道も古い道で、赤塚から大堂を経て大門、早瀬へ至る道です。ここは次回歩きます。
この真っ直ぐに行く道 は地元では「早宮三、四中央通り」と呼んでいるようですが、前述した名残が屋敷林として竹藪、畑地として何カ所か見ることができます。練馬工業高校入り口の四つ角に小さな石の道標を見つけました。陰刻なので読みにくいが、立てたのは00青年会、立てた時は大正五年と読めます。
あまり古いものではないとしても、今から八五年ほど前のものです。しばらく行くと改進第一小学校があり、十字路になっています。ここを横切る道は広い道で、平和通りといい下を地下鉄が通っています。
道はまだ続き、かなり歩くと左手茂みに須賀神社があり、すぐ錦二丁目の五叉路になります。前方に墓地 が見える。そこを右折し、坂を下って左折すると金乗院の山門前に出ます。古い道のルートとして分かっているのはここまでで、この先どう続いていたかはっきりしません。
私の推定では、山門前から元の参道を行き、今は暗渠になっている小川を金乗橋で渡り錦二丁目から 板橋区に入り上板橋二丁目の辺で川越街道の旧道に出ていたものと思います。川越街道の旧道は
この先池袋寄りの上板橋一丁目で国道254号を分岐しています。その途中に東上線の上板橋の駅があります。
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